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2015年10月07日

英語の偏り?

※昨日、連続でツイートしたもの。

「大学入試の英語は偏っている」「TOEIC の英語は偏っている」と言う人がいたら、「それはタイム誌の英語でも医療英語でも観光英語でも同じでしょ?」と言い返せば足りる。どうせ全部をやっている人などいない。試験対策の是非は自身が掲げる目的との関係次第であり、方法単独での批判は難しい。

というわけで、偏りは本質的に不可避だ。とはいえ、基礎的な部分(だいたい高校レベルまでの範囲)については万遍なく学んでおいた方がよいと思う。もちろんこれも各自の目的次第ではあるのだが、基礎的な部分に穴があると持ちうる目的も自ずと狭まってしまう。それが基礎の基礎たる所以というものだ。

蛇足ながら、「偏り」も多義的である点には注意が必要だろう。私がここで書いているのは「全面的ではない」ということであり、英語のように巨大な対象を扱うときには不可避なものだ。しかし、このことと「英検を受けるのに難単語の勉強ばかりしている」といった種類の「偏り」とは区別する必要がある。

これらはどちらも「基準に対するズレ」として理解可能ではある。しかし、英語全体に対するズレは不可避であっても、限定された目的に対するズレは比較的避けやすい、という大きな違いがある。そしてこの「限定された目的」には、特定の試験に合格することや特定分野の素材に習熟することも含まれうる。

(いずれも140字)

posted by 物好鬼 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学の本質 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

英語学習の目的は人それぞれ

TOEIC の得点力と「英語力」との間には重なる部分もそうでない部分もあろうが、そのうちのどの部分を重視するかは各自が自己責任で決めればよい。仮に「TOEIC の Part7 で全問正解することが私の生き甲斐」でもいいのだ。そもそも「英語はやらない」という選択肢すらあるのだから。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/647613421324660737

このテーマについてはいろんな意見があるように見える。Twitter なんかで荒れることもある。しかし、実際にはそれほど違わないことが多いのではないだろうか。というのも、結局のところ、多様性を否定する発言はしづらいからだ。

荒れてしまう原因の一つとして、「せっかく TOEIC の勉強をするのなら、英語力の向上にもつなげないともったいない」といった種類の主張があると思う。

「もったいない」は発言者の主観であり、この主張自体も「英語力の向上にも努めることが TOEIC 学習者の義務だ」とまでは言っていないのだが、読み手の中には「押しつけ」ととらえてしまう人が存在する。もちろんそれは深読みのしすぎであり、本来ならば発言者に確認をすべきものだ。反論するのはそのあとでよい。振り上げた手は下ろしにくいものだからだ。

Twitter での炎上にはいろいろなパターンがあるのだろうが、上記のような主張に対して必要な確認をとらずに反論(いわゆる脊髄反射)することから始まる場合も少なくないだろう。それを避けるには、論理的思考力や日本語力を鍛えることが大切なのだと思う。まずは落ち着いて、「他の解釈はありえないか」などと考えてみることだ。(cf. 合憲限定解釈

一方で、投稿する側も、このような反応を見越して表現方法を調整することが望ましいと言える。最初からスキのない表現をしておくわけだ。ただし、これがかなりの難題であることは私も重々承知している(実際、この記事は Facebook 投稿後に何度も何度も書きなおした)が、それでも取り組むべきであると思う。

なお、不要なトラブルを避けるには、普段からの人間関係が大きく物を言う。特に、直接会って何度も(できれば飲みながら長時間)話し合ったことのある相手とは、意見の相違があってもあまりギクシャクしないものだ。

それだけに、Twitter 上などで私の知人同士が互いに未対面のままトラブっているのを見ると、それこそ「もったいない」と思ってしまう。「会いたければいつでも紹介するぞ」と言いたくなる。

その意味からはやはりネット上でのやりとりだけでなく、機会を見つけて直接会うようにすることをオススメしたい。いわゆるオフ会はもちろん、勉強会の類(たいていは懇親の場がある)も大いに役立つ。ある程度の人脈ができると、そこから更に芋づる式に広がっていく。

私自身はというと、一昨日には英語関係者たちと昼過ぎから夜遅くまでカラオケ+肉食パーティをやったし、今日も ICEE 見学でいろいろな人と会うことにしている。健全な人間関係があればこそ、健全な議論ができるのだと思っている。

posted by 物好鬼 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

「TOEIC」は名詞ではない!

TOEIC テスト等を主催している ETS のホームページに「Guidelines for the Informational Use of ETS Trademarks by Third Parties」というページがある。そしてこの中には、
"ETS trademarks should never be displayed alone. The trademark should be used as a proper adjective(固有形容詞) and should be followed by the appropriate registry symbol(適切な登録記号) and generic term(一般的名称)."
と書かれている(訳語および強調は引用者)。

つまり、例えば「TOEIC」という語について言えば、それは「TOEIC のスコア」ではなく「TOEIC® テストのスコア」のように使用すべしというわけだ。このガイドライン自体は英語で書かれているが、タイトル直後に「Worldwide Version」とあるところからすると、日本国内での使用に対しても同様である(と ETS は考えている)はずだ。

実際、書店に並んでいる TOEIC 関連書のタイトルを見ると、ことごとく「TOEIC® テスト」あるいは「TOEIC® TEST」という表記を含んでいる。書籍のタイトルに関するかぎり、「TOEIC」が単独で使われている例を私は知らない。

私がこんなことを知っているのは、はるか10年以上前、当時の職場で TOEIC 教材の制作(正確には既存ビデオ教材の e-Learning 教材化)に携わったことがあるからだ。当時は法律を学んでいたこともあって、各社の商標などについてあれこれ調べたのだった。

さて、上の条項は本来ならばブログ記事や SNS での投稿に対しても当てはまることだろう。ちなみに先のページには
An ETS trademark, its registry symbol and an appropriate generic term should appear on the same line in the title. For websites, each webpage should display the registry symbol after the first and most prominent use of the trademark.
とも書かれている。

しかしながら、正直なところ、私もこのあたりはいいかげんだ。ETS としても、特に実害がない限り、個人による私的な書き込みにいちいち文句は言わないだろう、といった勝手な期待もある。それに、Wikipedia の記事
By definition, following a guideline is never mandatory.
と書かれているように、ガイドラインはルールとは異なる。

とは言うものの、発信者が企業や団体などである場合には、権利者(ETS)と良好な関係を維持するためにも、個人の場合より厳しめに考えた方が無難だろう。同様のことが出版物の中味についても言えると思う。

いずれにしても、このように英語で書かれたお堅いページもときどき読んでみるとよい。形式的にも内容的にも新しい発見があるはずだ。

posted by 物好鬼 at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習記録、日記、雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月22日

数学などにおける「解法」の扱い

※先ほど連続でツイートしたもの。

先週の土曜、高校の同期会があった。卒後31年ちょっと。そこに、高校時代に英語や数学などの勉強を一緒にやっていた男が来ていたのだが、彼に「数学に関しては大橋は天才型だった」と言われた。しかし、今から考えてみると、私の数学(物理なども)は原理原則重視型とでも呼ぶべきものだったと思う。

どういうことかというと、どんな問題を解くときにもできるだけ基本的な項目に立ち返って考えるようにしていたのだ。特に公式に関しては「自分で証明できない公式を使うのは卑怯だ」という考え方だった。「そこまでしなくても」と思われるかもしれないが、物理では期待以上の効果があったと思っている。

その一方で、私はいわゆる解法というものに無頓着だった。それでも問題の大半は解けたから、件の友人には「天才型」に見えたのだろう。解法というのは成績向上・大学合格という目的からは効率的なものではあるが、学習の目的をそれらに限定したくなかった私には、この方法が合っていたのだろうと思う。

では、現在学習中の人はどうすべきか。大学合格への最短距離を目指したいのならば、最初から解説を見て、解法も積極的に吸収するのがよい。いわゆる「数学は暗記だ」的方法だ。入試で出題される数学などの問題には必ず正解が存在するのだから、そういう問題が解ければよいのなら、この方法は合理的だ。

しかし、数学などについて自分の頭で考えられる人間(学者の類)になりたいのならば、安易に解法に頼らず、できるだけ自力で考えるようにすべきだろう。そしてその上で、入試対策として解法(=他人の考え)を学ぶ。自分で苦労した後であれば解法の価値も実感できるし、記憶にも残りやすくなるはずだ。

蛇足だが、いわゆる「数学は暗記だ」においても理解は必須とされる。こういう解法依存型の方法を高校生などが使うべきどうかは上に書いたとおりだが、語学に適用するのは問題ないと私は考えている。文法規則を自分で考えつく必要性は少ないからだ。ただし、文構造の体系的理解だけは丁寧にやるべきだ。

(以上、すべて140字ずつになっている。)

posted by 物好鬼 at 11:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

英文法学習に気乗りがしない大学受験生へ

Facebook 上の某公開グループで、「英会話は得意なのにそれを大学入試では評価してくれない」「どうして英会話を軽視して文法ばかり偏重する人が多いのか」「英会話は社会で役に立たないのか」と不満を述べている浪人生がいたので、私なりにコメントしてみた。
(コピペするのは私のコメントだけなので話の流れがわかりにくいかもしれないが、そこはご容赦を。)

経験者ならわかるはずですが、文法も発音も正確な方がコミュニケーションの質を高めてくれますよ。そもそも「文法をやりすぎたから話せない」なんて人がいるんでしょうか? 真実は「話す練習をしなかったから話せない」でしょ。

話せるようになるためには話す練習が必要ですが、そのとき、文法を学んだ人は学んだ文法を活かすことができますが、学んでない人にはそれができません。だから私は文法を重視します。発音も同様です。

だとしたら、文法についても(発音についても)、それをやらない理由を探すより、やる理由を探した方がいいと思うんですけどねえ。受験生ならなおさらですよ。

冒頭の質問に「皮肉にも英語の中で1番得意とする英会話だけ受験の役に立たず、とても悔しいのです」とありますが、そんなのは普通のことですよ。私は数学では特に記号論理学や集合論に興味がありましたが、それらが入試で問われることはありませんでした。趣味の武道なんて科目自体がありません(笑)。

やや極端な物言いに聞こえたかもしれません。しかし、入試であれ何であれ、試験対策は試験に合わせてやるしかないのですから、文句を言っても始まりません。社会に出てからの仕事もそうです。相手に合わせるんです。それでも今後は入試英語も4技能化が進みますから、状況は大きく変わるだろうとは思いますが。

他のスレによると質問者さんは時事問題について話すのにあまり困らないとのこと。もしそれが事実であるならば、私なんかよりも高い英語力を持っていることになります。そのくらいの英語力があれば、入試で問われる他の分野(読解や文法問題など)もあまり苦労はしないはずです。となれば、必要な部分だけ対策すればよいだけの話ではないでしょうか。

数学なんかもそうですが、人間は自分が苦手なものの価値を低く見る傾向があります(酸っぱいブドウ)。もちろんその逆の「甘いレモン」というのもあります。ここで私にハッキリと言えるのは、「○○が役に立つ」と実感できるのは、それをやった人だけだということです。

私も浪人経験者ですが、入試を甘くみたらダメです。

来年また大学を受験するんでしょ? ならば出題内容に不満を言うのは時間のムダです。そんな時間があったら1問でも正解できるように努力することをオススメしますよ。○○さんの実力があれば、それほど時間はかからないはず。そして、自分が成し遂げれば、後輩に対して適切なアドバイスをすることも可能になります。

これは社会に出てからもそうですが、人間は「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」と「実際にやれること」の間に大なり小なりギャップがあるものです。これはどうしても避けられません。

そんなとき、そのギャップを広げることばかりしていたら目標から遠ざかってしまいます。それを避けるためには、「やらなくてはいけないこと」に少しでも価値を見出すように心掛けることです。そうすれば、目標到達(受験なら合格)は近付きます。

基本的に私は受験生の味方ですから、○○さんの受験も応援しています。しかし、あくまでも「基本的に」です。受験対策と真摯に向き合わない人は応援しません。

※浪人時代の私が「受験対策と真摯に向き合」っていたかと言われると必ずしもそうではなく、受験勉強以外のことに割いている時間の方がはるかに長かったのだが、上はあくまでも一般的な受験生に対するアドバイスとして書いている。
 とは言うものの、かつての私のような(=塾・予備校には行かず、自宅で哲学だの武道論だのの学習に多大なエネルギーを投下している一方で、肝心の受験科目は基礎・基本を中心にして過去問演習はほとんどせず、受験するのは第一志望の東大だけ、という)受験生がもっと増えれば面白いだろうなあ、という気持ちは今も持っている。

posted by 物好鬼 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月14日

横山カズ『パワー音読入門』

はじめに

日本国内にいながら完全独学で同時通訳者になった著者・横山カズ氏による、新しいトレーニング方法の本。現代日本人英語学習者の多く(おそらく私も含め)に不足している部分をカバーするもので、英語(外国語)学習の世界では今年一番のヒットに値する内容を持っていると思う。

汗をかかずに体を鍛える方法がないのと同様、言わば頭で汗をかく(?)ことなしに英語力を鍛えることはできない。大学入試の4技能化が進んでいることもあってか、最近では「話せるようになるためには話す練習が大切だ」と言われることが多くなってはきた。しかし、実際に取り組もうとすると、個々の英文すら自信を持って言えない現実に直面することが少なくないはずだ。

言うまでもないだろうが、これは「話すために必要な<ナニカ>を、いつ、どのようにして吸収するのか」という極めて本質的な観点が抜け落ちているせいだ。横山カズ氏のパワー音読(以下「POD」)は、生きた英文を徹底的に吸収するという方法によって、この問題に対する強力な解決策を提示している。


例文学習としての面

その意味で POD というのは私がかねてから説いている例文学習の一種であり、もっと一般化するならば、「型」を使った学び方(それは東アジアが世界に誇る伝統的な智恵であると言ってよい)の一種でもある。この<型による学び>の重要性を指摘する人は少ないようだが、本当はもっと評価されてよい側面であると思う。例文学習の効能については、私などよりもずっと昔からいろいろな人が言及している。以下に少し引用する。

根気よくこれをくり返しくり返し読んでいただきたい。日本文をチラッと見て英文が一息にスラスラと言えるまでに自らを訓練するのである。そうしてしばらくするとその文例は次第に消化されて自分のものとなり、時に応じて英語が口を突き、指先にうずくようになる、すなわち応用ができる段階に到達する。
(佐々木高政『和文英訳の修業』(文建書房、絶版)初版「はしがき」)

 まず、英文の方をふせて、日本文を自分で口頭で英語にしてみる。それから、英語のほうをチェックする。作文には自信があっても、ともかく、その本を、考えることなくスラスラいえるようになるまで、繰り返し繰り返し練習した。はじめて見るような単語は、全部を通して一つもなかったが、知っていて使えずにいた単語に生命力を与えてくれた点で、この本は、はかりしれないほど役に立った。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』(実業之日本社、絶版)p.66)
 ……暗記用の五百の文例は、すべて習得し、日本語の部分を見てすぐ英語がでてくるようになっていたうえ、それらの暗記した文が、常時、混乱したエコーのように頭の中で聞こえるようになった。
(同 p.82)
 わたしがこれまで、多国語を話せるようになった経験からいって、最良の方法と信じているのは、基礎的な文章を丸暗記してしまうことである。
(中略)
 章句を暗記していれば、組み立ての苦労なしにそっくりレディ・メードを実用に供することができる。しかも五百の章句で、たいていの表現はまにあわすことができるのである。多少のおきかえの機転がきけば、まず、こまることは少ない、といっても過言ではない。
(同 pp.184-185)

これらはいずれも拙著で(もともとは7年前のブログ記事で)紹介しているものだが、特に注目すべきなのは上で赤字にしてある部分だ。これは単なる「勉強」の域を超えていて、まさに「修業」の結果であると言ってよいものだ。これこそが外国語学習の秘訣であり、今回の POD は(まったく同じではないとしても)類似の成果を上げるための具体的方法の一つであるというのが、私の POD に対する基本的な評価だ。ちなみに「音読」という名称を使ってはいても、その実質は「音読をとおしてのリプロダクション」と言ってよいだろう。


本書について

さて、肝心の本書の中味だが、まず冒頭の理論編では開発の経緯とともに「実践法」が詳しく述べられる。そしてその後の実践編にはたくさんの素材が用意されている。

掲載されている例文はどれも生き生きとしたもので、著者が普段からどれだけ大量のナマの英語に触れているかを感じさせるに充分なものがある。もちろん音声もある。また、単元ごとに1つの文法的テーマを割り振りながらも、それと同時にユーモアを盛り込むことも忘れていない。特にダイエットネタ(p.102)の最終行などは、なかなか痛いところを突いていると個人的には思う(汗)。

ついでながら、各単元(見開き)の左下と右上の欄にも親切な工夫が見られることを指摘しておきたい。

(この方法を実践することで得られる具体的な効能については、下記のフォローも含めた記事を近日中に書く予定である。)


私なりのフォロー

さて、ならばこの1冊があれば誰でもスムーズに練習が進められるのかと言えば、少しばかりの不安が残る。というのも、持ち合わせている知識も能力も、学習者一人ひとり異なるからだ。その点をケアするために特に重要なものとしては、@音声面、A文構造、B復習方略 の3つがある。以下、分説する。

@音声面

本書でも音声面を軽視しているわけではない。特に Step 3 の「ささやき音読」は秀逸で、私もかつて無声子音(例えば strike の [st] など)の発音を練習する際に、似たような方法を使ったことがある。もっとも私は「ひそひそ話」と形容していたが。

とは言うものの、音声面において注意すべき点は無声子音にとどまらず、実はかなりの数がある。それらはどうするのか?

その点に対する私からの処方箋は2つある。一つは (a) 適当な教材を使って発音全般についての基礎的な勉強をすることで、もう一つは (b) POD する個々の素材について、お手本の音声をよく聴いて音声面の確認をすることだ。

(a) の目安としては、辞書の発音記号一覧に掲載されているような簡単な実例(単語)を自信を持って実演・解説できるようになればよい。また、(b) については、最初は無理に音読やシャドーイングに走らず、しっかりと聴き入ることをお勧めしたい。

ちなみに私の場合は、15年くらい前に40分ほどの音声素材を300回くらい繰り返して聴いたことが、音声面において大きな転機となった。これはそのときの経験から断言できるのだが、そのような徹底した反復(これは (a) に属する)によって音声面に関するガッチリした基盤ができあがると、新たな例文を学ぶ際(これは (b) に属する)に必要とされる分析・再確認の時間はどんどん短くなり、最終的にはほぼゼロになる。

A文構造

これについては Step 1 の「チャンク音読」があり、簡単な構造の文についてはそれで足りる。しかし、例えば p.64 に登場する "what it takes to be ○○" という言い回しに関して、どうしてこういう言い方ができるのかがピンと来る人は、中級レベル以下ではそれほど多くはないと思う。丸覚えすれば使いこなせるようになるのだとしても、私のように理論派を自認する人間にとっては少し物足りないのも事実だ。

そこでその攻略方法が問題になるわけだが、「受験勉強にも POD を」(p.126)にヒントのようなものが書かれている。それを手元の教材(英作文や構文の参考書がよかろう)で実践すると、かなり大きな御利益(ごりやく)があると思う。

なお、文構造を複雑化していく体系については拙著で詳しく触れているので、適宜 POD と併用されたい。現在準備中の改訂版では更にわかりやすいものにする予定である。もちろん、市販されている本の中にも、澤井康佑『一生モノの英文法 COMPLETE』(別途紹介予定)など、この目的に有用と思われる参考書がいくつかある。

B復習方略

本書の方法は、どちらかというと一度にガーッと反復するものだ。ところがこういうやり方(維持型リハーサル)は、短期記憶には残りやすいが長期記憶には残りにくいと心理学の世界では言われている。これをカバーするには、(1) 情報を精緻化すること(精緻化リハーサル)や、(2) 反復の間隔を少しずつ長くすること(間隔伸長法)などの工夫が有効だろう。このうち (1) 情報の精緻化はAで述べた文構造の理解・再措定で足りるであろうが、問題は (2) 反復の方法だ。

本書の記述としては「気に入った素材・自分の弱点である文法や単語の表現を含む素材などを1つ決めて、一定期間(3日〜1週間)継続して POD することをお勧めします」(p.53)という部分が大切で、これは特に初心者〜中級者に有益なアドバイスだと思う。というのは、学ぶ素材は互いに無関係なように見えても実はたくさんの共通点を含んでいるため、特に初期の段階ではできるだけ継続的反復の比率を高くした方が後々の学習に資するものが多くなるのだ。ただし、反復の間隔は少しずつ長くしていくようにスケジューリングすると、よりよい効果が得られるだろう。

というわけで、私なりに3点挙げてみたが、私はこれらが POD の弱点であると考えているわけではない。むしろ、これらの点を意識することで POD の効果が確実に発揮できるのではないかと考えている。そもそも個々人に不足しているものには違いがあるのだから、学習者一人ひとりが自分自身の状況をよく知って工夫する必要があるのは当然のことだ。

もちろんこのことは、どんなノウハウについても大なり小なり言える。むしろ大切なのは、学んだノウハウに関して、提唱者と同じくらいの熱意を持って取り組めるかどうかだろう。どんなに有効な方法でも、それを知っただけでは意味がないのだから。


今後に向けて

以上長々と述べてきたことからもわかるように、今後の POD には非常に大きな可能性がある。もっとも、話せるようになるための訓練に関して、優れた方法が過去に存在しなかったわけではない。このブログ(そして拙著)でも詳しく紹介している96型ドリルや転換練習などはまさにそうであり、熱心に取り組めば POD に匹敵する効能があると私は考えている。ところがどういうわけか、それらの方法は今ではほとんど顧みられることもない状況にあるというのが悲しい現実だ。ラクを求める時代だからか。

それに対して今回の POD は今まさに脚光を浴びつつところだ。これが往年のドリルたちと同じ道を歩んでしまってはもったいないわけだが、それを防ぐ最良の方法は、POD の支持者やその生徒さんたちが POD を実践して結果を出しつづけてみせることだろう。冒頭にも書いたように、実力をつけるには汗をかくことが何よりも大切だ。

もちろん同じ方法で「往年のドリルたち」の復活も試みたいところであり、拙著改訂版ではその点も併せて強調したいと思っている。


もうひとつふたつ

最後になったが、今後も著者によるセミナーが開催されるであろうから、機会があれば参加してみることを強くお勧めしたい。たとえ本を味読して頭で理解していても、現場に行って生で見ることによる刺激の大きさは決してバカにならない。私も過去に2度ばかり参加しているのだが、特に著者による同時通訳の実演は圧巻だった。

参考までに、これは先日ネットで放送された番組の模様。私はスタジオ内で聴いていた。50分ほどの番組であるが、これにより著者の「人となり」がよくわかるので、ぜひ最後までご覧いただきたいと思う。




 

posted by 物好鬼 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 個別の教材について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

三単現のsを身に付けよう

英語学習者で「三単現のs」を知らない人はまずいないと思う。理屈も比較的簡単だ。ただ、大人になってもなかなか身に付いていないというケースも見かける。

そこで今回は、三単現のsを攻略するための簡単なドリルを紹介したい。これだけやれば完璧!などと言うつもりはないが、十分な基礎にはなると思う。

三単現のsの基本的なルールは、「主語が三人称単数で、動詞が現在時制のとき、動詞の後ろに (e)s を付ける」である。もちろん、付けるのが s なのか es なのか、そしてその場合の発音はどうなるか、ということについては何種類かに分けられるが、実際に発音してみることによって理由もわかるようになる。そのためには、具体例を通して学ぶことが大切だ。(has や says などの例外は後で個別に学べばよい。)

以下、その方法。
(あらかじめネタばらしをしておくと、これは長崎玄弥氏「96型ドリル」のサブセットである。)

◆第1段階

まず最初は三単現のsでないものから始める。そのために簡単な文を用意する。たとえば

 ・You speak English.

であるとしよう。

この文を使うと決めたら、これを何度か読んでみる。お手本になる音声があればよく聞いて真似るようにする。慣れてきたら、書かれたものを見ないでソラで何度も言ってみる。

次に、以下のように変化させてみる。

 ・You speak English.
 ・Do you speak English?
 ・You don't speak English.
 ・Don't you speak English?

当然のことながら、疑問文では最後を上げるようにする。もちろん手本となる音声があればベター。

最初は書かれたものを音読するところから始め、慣れてきたら何も見ずに言う。そして、4つの文を連続して正確かつスムーズに言えるようになるまで反復する。難しいと感じたときは、迷わず音読に戻る。

speak を攻略したら、他の動詞でもやってみる。

◆第2段階

次は主語を「he」にする。これは三人称単数(の代名詞)であるから、動詞が現在であれば s が付く。speak の場合は原則どおり s のみでよい。発音も [s] を付けるだけ。

上と同様に4文を並べると

 ・He speaks English.
 ・Does he speak English?
 ・He doesn't speak English.
 ・Doesn't he speak English?

となる。ポイントとしては、肯定平叙文(つまり4文のうち最初のもの)のみ動詞末尾に s を付ける(それ以外は助動詞 do の方に es が付いている)。

これも「you」のときと同じ要領で練習する。

以上で訓練は終了!と言いたいところだが、そうではない。

というのは、ここまでは肝心の「この文では三単現のsが使われる」という部分が固定されていたからだ。しかし実際には「使うべきときには使うが、そうでないときには使わない」というように、場合分けに対応できるようにならなくてはならない。

◆第2.5段階

今度は「三単現のsを使うべきとき」と「そうでないとき」とを順不同に試すようにする。そのためにはまず

 @ you、they、your parents、my friends など
 A he、she、my father、Jack、Suzan など

のようにリストを作る。

準備運動として、@Aそれぞれについての練習を第1・2段階の要領で行う。自信を持ってできるようになってきたら次に進む。

◆第3段階

いよいよ主語を順不同にする。つまり、順不同に並べられた主語リストを見ながら

 ・○○ speak(s) English.
 ・Do(es) ○○ speak English?
 ・○○ do(es)n't speak English.
 ・Do(es)n't ○○ speak English?

を言うようにする。反復の仕方はこれまでと同様でよい。

◆第4段階

ここまでができるようになったら、run や teach などのように (e)s 部分の発音が違う単語でも同じようにやってみる。speak について十分な練習ができていれば、ここでは違う部分のみに集中することができるので、それほどの時間はかからないはず。

なお、現在時制だけでは負担が小さすぎるという場合は、過去時制の4文も続けて言ってみるとよい。(もちろん過去時制には s は登場しない。)

◆最後に

ここまでできれば「三単現のs」の基礎は身に付いたと言ってよい。もちろん、その後もときおり復習するようにする。特に、長めの文、あるいは長い主部を含んだ文について、上記の要領で練習するとよい。

これは機械的なドリルではあるが、野球の素振りや守備練習のように何年も継続する必要はない。基礎的な力を身に付けるだけであれば、週末などに集中してやるだけで十分だろう。三単現のsに限らず、このような方法で早期にシッカリした基礎を作っておけば、それは一生役立つことになる。

なお、楽しく効率的に練習するには、仲間と競争するのもよい。いずれにしても堅苦しい修業ではないので、ゲーム感覚でやるのが精神衛生上もよいと思う。

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2015年05月03日

勉強本の選び方

予想どおりと言うべきか、映画公開を機に『ビリギャル』が叩かれている。発刊当初からいろいろ言われていた本ではあるが、「映画化」という一種の成功に結びついた点が更なる反感を招いているのだろう。宣伝文句に問題がないとは思わない(むしろ少なからずある)が、ここではこの作品自体にはあまりこだわらない。

一般的に言って、勉強本とか合格体験記の類は「受かったもん勝ち」「書いたもん勝ち」なところがある。これは決して褒められた話でないのだが、30年前も現在も大差ない。いずれにしても読む側には相応の注意が求められる分野なのだ。カジュアルなテーマのように見えながら、的確な評価を下すことは実に難しい。

その意味からは、勉強法などに関する本はできるだけ現物を見てから購入した方が安全だと言える。最近は Amazon などを利用する人も増えているが、ネットを限定的にしか信頼しない(と同時に幸運にも都心近くに住んでいる)私は、今でも書店通いを続けている。結果、この作品については軽く立ち読みしただけで終わった。

もちろん、地理的あるいは時間的事情で Amazon などを利用せざるをえない人は多かろう。しかしそういう場合でも、発行直後に飛びつくことはできるだけ避け、カスタマーによるレビューを参照した方がよいと思う。それも★1つのものにも目を通すようにする。レビューにはステマやネガキャンも少なくはないが、いろんな見方がわかって面白い or 勉強になる面もあるはず。話題作ともなるとレビューの数もかなり多いことがある(『ビリギャル』は現時点で269件ある)が、新しいものだけでも読んでみることをオススメする。もっとも、潤沢な予算に恵まれている人は迷わず購入すればよい。

今回の騒動で思うのは、多くの人が「本当に "ビリ" から "難関" を突破した話」を読みたいと思っているんだろうなということ。しかし、<夢を見たい>という願望が選択を誤らせるケースも少なくはない。もっともこの点は私も例外ではなく、過去にたくさんの失敗をしながら学んできた部分が大きいし、それは勉強本の選択についても言える。

実のところ、私も最近は(歳のせいか?)少しずつ冷静になってきたようではある。それでも(というより「それだけに」かもしれないが)現状打破・限界突破のためには<夢を見たい>という願望もとても大事なのだということを再認識しつつある。現状に慣れすぎることに対する反省とも言える。

ただし、本からの情報収集に関しては、安直なノウハウ本ばかりでなくお堅い学術書にも目を向けるようにしている。また、自分でやって確認することも重視している。こういうテーマでも各種のバランスが大切だと考えるからだ。

読者各位におかれては、どうかリアル店舗で良書を見つけられんことを、そしてよい結果に結びつけられんことを……と締めくくってみる。

※関連記事
 「学習法に関する本の読み方」
 「上達論の参考文献など」

posted by 物好鬼 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

言葉のルールは理屈と感情と

つい先日、「『簡体字はキモい』 香港で渦巻く“中国本土化への嫌悪感”」という記事を見つけた。

気持ちは分かる。言葉のルールは理屈だけでなく慣れの部分が大きいから、馴染めないときの感情的反発はバカにならないのだろう。まして政治的な背景がある場合はなおさらだ。

私個人としては、漢字の略し方でバランスがとれているのは中国の繁体字でも簡体字でもなく日本の新字体だと信じたいが、これも主観的なものでしかない。(ダジャレではあるが。)

そういえばだが、私なんかより若い世代の人は(世代だけでなく年齢の問題もあろうが)、旧漢字や旧仮名遣いに慣れていないことが多いように感じる。ちなみに私自身は、駒場時代に『世界言語概説』という分厚い2巻本を気の向くままに読み漁っていたら、いつのまにか旧漢字旧仮名遣いに馴染んでしまった。そういう意味では全然苦労しなかったと言える。ただし、読むだけだが。

これは一種のイマ―ジョン教育だろう。この方法は、学習内容について勘違い・覚え間違いが発生しづらい場合には非常に有効だと思う。感情移入できる場合にはとりわけ大きな威力を発揮するはずだ。過去の経験からも、「ハマる」「熱中する」ことにはたしかに大きな威力があると感じる。

かなり前のことだが、「うちの子(就学前)はなかなか文字を覚えない。どうしたらよいか」という投稿を新聞か何かで読んだことがある。私が回答者だったら「子供と一緒にカラオケに行って子供番組の主題歌をたくさん歌ってみてはどうか」とアドバイスするのにと思った記憶がある。それがたとえ完璧な方法でないとしても、本人が好むこと(もちろんカラオケ以外でもよい)から入るのはやはり有効だろう。その意味では、いわゆる勉強だけが勉強ではないわけで、親の「ものの見方」が問われるところでもある。




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2015年04月23日

英語教育はヨリ大きな枠組みの中で考えるべし

これは英語教育に限らないが、学校における教科教育は「(公)教育とは」「学問とは」「いわゆる実学・虚学とは」などを踏まえる必要があり、公教育全体は「社会とは」「人間とは」「国家とは」などを踏まえて考える必要があるはずだ。なのに、昨今の英語教育に関する議論では、こういう大きな観点に触れる人はあまりいないように思う。私が知らないだけかもしれないが。

英語において実用性を重視することは(数学と同様の意味で)許容されるし、必要ですらあると私も思う。しかし、注意すべき点が少なくとも2つある。

その1は、英語教育改革は他の科目に皺寄せがいかない範囲で行うべきだということ。「身に付いていない生徒が少なくない」という問題は、他の全ての科目について言えることだからだ。その点、英語教師はどうしても英語の重要性を強調しすぎる傾向がある。端的には「国語も数学もやれ!」と言いたい。これは大人になった英語教師も例外ではない。

※国語や数学といった科目をどのくらいやるべきかだが、センター試験で平均点程度にすら達しないのでは話にならないだろう。英語教師は一般人よりも英語が得意だろうが、その英語力を身に付けるために他の科目を犠牲にしすぎているとしたら、それは高校生たちにとって適切なロールモデルとは言えまい。その意味で、センター平均点というのは一つの目安になるだろう。もちろん、これは他の科目についても同様だ。

その2は、英語が持つ自然言語としての特殊性を考慮すべきだということ。これは、母語というものが精神活動と不可分一体であること(これは数学などにはない側面である)からくるものだ。もちろん英語は大半の日本人にとっては外国語だが、英語を母語とする人は世界中にたくさんいるのだから、「英語はコミュニケーションの道具だから通じればよいのだ」ではなく、通じることを最低ラインとしたうえで、感情や論理にも可能な限り配慮した指導をすることが大切になってくるはずだ。

※これは数日前に立ち読みした本に書いてあったのだが、エリート層においては、発音は少しくらいおかしくても問題とされないが、文法を間違えると教養を疑われるとのこと。もちろん、カジュアルな会話はその限りではない。

以上、自分の英語力を棚に上げて、書きたいことを書いてみた。

posted by 物好鬼 at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする