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2016年12月23日

文構造の整合性と再分析の役割

これはあくまでも個人的な印象にすぎないのだが、「英文法の歴史は再分析の歴史」という一面が少なからずあると思う。
この「再分析」というのは、語形や語順といった形式面はそのままに、そのつながり方(構造)についての認識を変更するもの、とここでは定義しておく。具体例を3つほど挙げてみる。

まず、a cup of tea 型の2つの解釈方法(@cup を後置修飾、Atea を前置修飾)。
次に、@「自動詞(+前置詞+目的語)」がA「他動詞+目的語」として把握し直されて受動態の生成を許すこと。
また、be動詞が持つ3つの用法(@存在を表す本動詞、Aコプラ、B助動詞)。

これらはいずれも@を基礎として順に派生したものだから、各構造把握の間には「互いに無関係ではないと同時に同一のままでもない」という特殊な関係が存在している。となれば、英文法の体系的把握を試みるにあたっては、このような<曖昧さ>があるということを前提として考えていく必要があるはずだ。

しかるに世に出ているさまざまな主張を見てみると、@ABといったものを「全部同じ」あるいは「全部別々」のように「形而上学的に」(エンゲルス)考えているものもある。しかし、私の経験からは、曖昧さを素直に認めてしまった方が、文法の体系的理解がスムーズに進む。これは一種の科学論的反省だ。

ついでにもう少し。
言語学者の中には「言語が持つさまざまな構造の間には(形式論理的に)整合的な関係が存在している(まだ見つかっていないだけ)」ということを暗黙の前提にしている人が少なくないように私には思える。しかしながら私は、実際にはたくさんの例外があるのではないかと考えている。

私がそう考えるようになったのは、法律学を少し学んだことがあるからだ。刑法にしろ民法にしろ、条文解釈において学説が割れているテーマ(「論点」と呼ばれる)の中には整合的な解釈が存在しえないような場合が少なくない。そのような場合は結局、立法的解決(法改正など)に頼るしかないことになる。

これと同様のことが自然言語についても言えると思うのだ。法典のように専門家が意図的に作成したものですら不合理な条項を含んでしまうのだから、日常生活の積み重ねの中で形成されてきた自然言語にさまざまな不合理が含まれていても何の不思議もない。青い鳥を探するのはほどほどに、と言えると思う。

(すべて140字)

posted by 物好鬼 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

“an egg”は「あんえっぐ」ではない

今回は初歩的な発音の話。

日本語の「ん」はローマ字では n と書くことが多い。しかし、少なくともヘボン式では「乾杯(かんぱい)」は kampai と書かれる。もう少し正確に言うと、直後が b p m のいずれかである場合に、n のかわりに m が使われる。

ヘボン式ローマ字にそういうルールがあるのは、それは実際の発音がそうだからだ。もっとも、「実際の発音」としては、他にも区別すべきものがある。

実は日本語の場合、「ん」で表される音にはだいたい次の4種類がある。
(※あくまでも「だいたい」であって音声学的に正確な説明ではない。)

 [n] … 直後が [t] [d] [n]  例:音読(おんどく)
 [ŋ] … 直後が [k] [g]  例:音楽(おんがく)
 [m] … 直後が [b] [p] [m]  例:音波(おんぱ)
 [ɴ] … その他(語末も)  例:音域(おんいき)

ヘボン式ローマ字では、[m] のみが発音どおり m と書かれ、その他の場合はすべて n と書かれていることになる。

さて、ここからは英語の発音。

英語の発音に不慣れな人(大半の中高生はそうであろう)に an egg を発音させるとしよう。これは "「ん」の直後に母音" というパターンになっているから、たいていの人は日本語の発音ルールに従って上記ルール最後の [ɴ] を使おうとする。その結果、「あんえっぐ」のような発音になる。

もちろんこれは英語的な発音ではない。実は日本語でよく使われる [ɴ] は英語には存在せず、英米人はかわりに [n] を使う。そのため、an egg は「あねっぐ」に近い発音になる。

つまり、[ɴ] のかわりに [n] を使うようにしないと英語らしい発音にはならない、ということになる。

posted by 物好鬼 at 04:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

5文型についての私の考え

※先ほど連続でツイートしたもの。

日向『即戦力がつく英文法』購入。読むのはおそらく週明けからだが、ネイティブ感覚を持った著者による非常に有益な労作だろうと予感している。ただ、私は拙著において5文型を援用しているという事実があるので、著者の「5文型の問題点」(p.24)に対しては私なりの考えを記しておくべきだろう。

@必須の副詞句については、各文型の「亜型」として挙げれば足りると思われる。
A疑問文や命令文などは、対応する平叙文と同じに考えればよい。SVOOやSVOCをSVCやSVOと同列に扱うべきでないという考えは首肯しうるが、それは使い方の問題であり、5文型そのものの否定には直結しない。

※ついでに、出現頻度の大小は学習に要する時間の長短とは必ずしも比例しないということを指摘しておきたい。というのは、SV/SVC/SVOのようにわかりやすいものは比較的短時間の学習で足りるが、SVOO/SVOC(特に後者)のように理解しにくいものは、より長時間の学習が必要だからだ。

B実証研究については私はよく知らない。ただ、初心者が書いた英文をネットで見ると基本的な文構造を理解していないと思われるものが多く見つかるが、私の見る限りでは、それらのほぼ全部が5文型で説明できる。洋書や洋雑誌に出てくる英文も同様で、私自身には5文型が役立っているという実感がある。

C5文型を活用することは「5文型中心の勉強法」を必ずしも意味しない。拙著のようなもので基本構造を押さえたら、日向本などでナマに近い英文に接することにより感覚を養うべきだろう。
→結論としては、「5文型は不完全だが有用でもあるから、産湯と一緒に赤子を流すべきではない」と私は考える。

基本文型を学ぶときに注意すべき点は、be 動詞と一般動詞の違いだ。疑問文を作るとき、古くは動詞を主語の前に出していた。助動詞発生後は助動詞を前に出すことになったが、ここまではドイツ語も同じ。しかし、一般動詞に do を使うようになって全3系列になった。5文型ではこれが見えにくい。

(以上、すべて140字ずつになっている。)

posted by 物好鬼 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

My father is my mother.

"My father is my mother." といえば「私の父はわがままだ」と読むのが昔からの定番だが、今日の話は少し違う。

さて、日本語の音に「清音」「濁音」の区別があることはよく知られている。要するに

 「かきくけこ」と「がぎぐげご」
 「さしすせそ」と「ざじずぜぞ」
 「たちつてと」と「だぢづでど」
 「はひふへほ」と「ばびぶべぼ」

のような対応関係だ。

一方、英語の発音では無声音と有声音の区別がある。つまり

 kとg
 sとz
 tとd
 pとb

といったものだ(他にもいくつかある)。

上の清音・濁音と比較してみると、最後のペアだけ食い違っているように見える。発音の仕方から考えるかぎり日本語の方がおかしい、とさえ思える。実際、日本語では「ぱぴぷぺぽ」は「半濁音」と呼ばれて例外的な位置づけになっている。

これには理由がある。実は昔の日本語では「はひふへほ」は「ふぁふぃふふぇふぉ」、もっと前には「ぱぴぷぺぽ」のように発音されていたと言われているのだ(ここ参照)。

これは「はひふへほ」の子音はpだったということであって、そう考えると、上の「食い違い」は実は食い違いではないことがわかる。当時の音声のもとでは、五十音図は実に合理的にできていたわけだ。

…ということは、だ。その頃の日本では 「私のパパ」=「わが母」、英語に訳すとまさに "My father is my mother." だったということになる!

これでようやく記事タイトルとつながった(笑)。

posted by 物好鬼 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

ゼロ関係叙述形容詞?

つい先日、『成功する練習の法則』という本(英語からの翻訳)を購入した。私は書店に寄ると自己啓発とか能力開発のコーナーには必ず立ち寄るが、洋物の上達論には見るべきものがないと思っていた。

しかし、この本は「練習するほどに下手になる」場合があることをきちんと押さえていることに気付いたので、ものは試しに購入してみた。少し読んでみたところ思った以上によさそうだったので数日後には原書を買い、さらにその数日後にはオーディオブックも購入した。上達論について英語で語れるようになりたいという深謀遠慮があることは内緒だ。

さて、問題の「練習するほどに下手になる」の件だが、原書版の p.xii(推薦のことばの一部)に

As Michael Jordan said, "You can practice shooting eight hours a day, but if your technique is wrong, then all you become is very good at shooting the wrong way."

という部分がある。理解するのに困難はないと思うが、問題は途中に出てくる 'all' の品詞だ。直後に隠れている関係詞の品詞と言ってもよい。

簡単な例で言えば、もし
 You need money. (SVO)
という文があったとき、「アナタが必要とするものはそれ以外にはない」というのであれば、「アナタが必要としているものとして考えられるものの全て」を 'all' として前に出し、
 All you need is money.
と書けるだろう。

また、もし
 You become a poor actor. (SVC で C が名詞)
という文があったとき、「アナタがなるものはそれ以外にはない」というのであれば、「アナタがなるものとして考えられるものの全て」を 'all' として前に出し、
 All you become is a poor actor.
と(おそらく)書けるだろう。

それと同様に、もし
 You become (very) good (at ○○). (SVC で C が叙述形容詞)
という文があったとき、「アナタがなるものはそれ以外にない」というのであれば、「アナタがなる状態として考えられるものの全て」を 'all' として前に出し、
 All you become is (very) good (at ○○).
と書けるだろうし、正に上の引用がその一例である。

しかし、だ。最初の2例の先行詞 'all' は 'a poor actor' や 'money' に由来するものだから名詞と考えられるが、3例目の 'all' はどうか?

これは '(very) good (at ○○)' に由来するものだから叙述形容詞であるとしか考えられない。そして 'all' と 'you' の間に隠れている関係詞(書くとすれば 'that' であろうか)も同じ品詞であるはずだから、関係叙述形容詞だということになろう。そしてこの例ではそれが表示されていないので、ゼロ関係叙述形容詞ということになるはずだ。

…と私には思われるのだが、英語学の世界ではどう扱われているのだろうか?

追記:関係副詞の先行詞は名詞だから、上の場合の 'all' もそれと同様に名詞でかまわない、という考え方もありうるのかもしれないが、関係詞の部分が叙述形容詞であるということに変わりはないように思われる。

   

posted by 物好鬼 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月29日

“not more 〜 than”と“no more 〜 than”

某匿名掲示板を見ていたら、“not more 〜 than”と“no more 〜 than”の違いが複数のスレで話題になっていた。これは昔からよく知られた(悪名高い?)テーマである。

違いを説明するにあたっては必ずと言ってよいくらい

 “She is not more beautiful than her mother.”
 “She is no more beautiful than her mother.”

というかたちで対比がなされ、「“no”は“not”より強い否定を表す」などと説明される。

しかし、このような説明では、「ならばどうして“no”のときにはイコールになるのか?」という疑問はなかなか解消されないのではないだろうか。そこで以下では少し違う説明をしてみたい。

まず、前者つまり

 “She is not more beautiful than her mother.”



 “She is more beautiful than her mother.” (つまり、彼女彼女の母)

単なる否定である。この場合、“not”は文全体(語句としては“is”)を否定していて、その意味は「彼女彼女の母」になる。これについては問題ないであろう。

それに対して後者つまり

 “She is no more beautiful than her mother.”

の場合、“no”は直後の“more”にかかっている(安藤『現代英文法講義』p.578、また p.583 も参照)。どういうことかというと、これは

 “She is more beautiful than her mother.”

を基本にして、その“more”の程度が much(much more=はるかに上)でも 10%(10% more=1割ほど上)でもなく no(no more=0%上)だと言っているのだ。

つまり、“no more beautiful”は「より美しい」割合が0%だという意味なので、(“not more”の場合とは異なって)割合がマイナスの場合(彼女彼女の母)が出てくる余地はないことになり、「彼女彼女の母」になる。

そのためこの構文は、聞き手が“Her mother is beautiful.”とは思っていないことを想定して、「母ちゃんも不細工だが娘も同レベルだ」という意味で使われることが多い。それで受験レベルの文法書はほぼそういう姿勢で書かれているのだが、実際の使われ方はやや流動的・不透明であるらしく、専門家の間でも意見が分かれているようだ(→※)。

※とりあえず次の3点に注意が必要であろう。
 (1) 同じ形式であっても、否定の「含み」を持たない場合がある。
   参考1) 杉山『英文法詳解』pp.537-538
 (2) 比較級を“-er”で作る形容詞について“more”を使用すると否定の「含み」が出る。
   参考2) 江川『英文法解説』p.177
   参考3) 比較の構造(“than”の「関係詞型」と「接続詞型」)
 (3) “no more 〜 than”が“not more 〜 than”の意味で使われることがある。
   参考4) 岡田『英語の構文150 New Edition』p.237
   参考5) no more than...の「イディオム用法」と「非イディオム用法」-1-(全7回の力作)


なお、拙著(記事の上を参照)では、このテーマを含めたさまざまな構文について構造図を使って解説している。ぜひ参照されたい。




posted by 物好鬼 at 17:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

前置詞+関係代名詞whose+名詞

ほんの数時間前のこと、Facebook上で、

 “Thanks to Mr.W on whose wall I found it.”

という書き込みを発見した(固有名詞のみ改変)。ちなみに書いたのはカナダ人Lさんで、成り行きは以下のとおり。

まず、とある感動的なYouTube動画をオーストラリア人のWさんがシェアしていて、それを更にカナダ人のLさんが再シェア。そこにルーマニア人のDさんが「Lさんありがとう」と書き込んだのに対して、Lさんが「いえいえ、Wさんがウォールに載せてくれたおかげです」と答えたもの。(Facebookをやらない人には分かりにくいかもしれないが。)

文法書で関係代名詞の項を見ると、「前置詞+which/whom」や「whose+名詞」は必ず載っているが、「前置詞+whose+名詞」というパターンはちょっと見かけないと思う(それでも『ロイヤル英文法』p.640には載っている)。日本語にも訳しにくい。

これはさすがに私の『図でわかる英文の構造』にも載ってはいない。それでも、拙著をお読みになった方であれば、どんな構造図になるかはお分かりと思う。皆さんも是非、図式化にチャレンジしていただきたい。
posted by 物好鬼 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月12日

語句と語順との相克?

例の拙著(上部リンク参照)作成のためにPDF編集ソフトを使っているのだが、それでちょっと気付いたことがある。

2つのファイルをマージする場合、前に来るファイルを先に読み込み、その後ろにもう一つのファイルを挿入するかたちをとる。

この「ファイル挿入」のための画面なのだが、指定項目が

  「挿入する文書」(ファイル選択)
  「ページ」(そのうちのどこを採用するか)
  「場所」(基準位置の前か後か)
  基準位置(現在のファイルのどのページか)

の順番になっている(ただし2番目の項目は今回は使っていない)。これが妙に使いづらい。

なぜか?と言えば、日本語の語順になっていないからである。これが英語なら、“Incert pp.[page nums] of the file [file name] [before/after] p.[page num] of the current file.”のようになるので、上の順序に近い(「ページ」を使わないなら同じ)。しかし、実際には日本語の語句が使われているので、頭の使い方がチグハグになる。語句も英語で書いてあれば、もう少しスムーズにいくはずである。

このことから分かるのは、少なくとも母語である日本語に関しては、語句の種類とその並べ方とが統合されたかたちで頭に入っている、ということである。となると、英語学習の方法についても少し考える必要があろう。

仮に瞬間英作文のトリガーとして日本語の語句を用いる場合、その並べ方が日本語の語順のままだと、日本語による引力が強くなりすぎてしまう可能性がある。それを防ぐためには、語句の順序を最初から英語的にしておけばよい。実際そのようにしても、日本語での語順整序には慣れているのだから、意味を取るのに苦しむことはないであろう。

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もちろんある程度慣れてきたら、日本語の文(語句がピックアップされていないもの)からの英作文も必要ではある。しかしそれは身に付けたものを活用できるようにする練習として行えばよいのであって、英語表現それ自体を学習する段階でこだわる必要はないであろう。
posted by 物好鬼 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

テニエールによる図系を改良する

世に「結合価文法」と呼ばれるものがある。フランスの言語学者L.テニエールが考えたものである。そしてその理論には独特の「図系」がある。それは「文の構造を図示したもの」(小泉保『日英対照 すべての英文構造が分かる本』冒頭)である。

テニエールの図系では、例えば“I eat meat.”なら、「上位項」である“eat”が「下位項」である“I”と“meat”を「支配する」と考えて、

  eat
  /\
 I   meat

のように表示する。同様に日本語でも(大枠としては)

  食べる
  /\
 私は 肉を

のようになる。

これはこれで面白いものだとは思うが、それでも他の多くの図式と同様の大きな欠点があることは否定できない。それは何か?

実際に喋るときのことを考えていただきたい。英語では「I→eat→meat」の順であるのに対し、日本語では「私は→肉を→食べる」の順である。しかし、上の図では英語でも日本語でも同じかたちになっており、語順が捨象されてしまっている。上位項と下位項との「結合」という関係は緻密に表していても、実際に使われるときに必要とされる時間的な順序は示されないわけだ。これでは作文能力の養成にはあまり寄与しない。

どうして学者という学者が揃いも揃って語順を無視した図式を作るのか、私には不思議でならない。しかし、文句を言っていてもしかたがないので、以下に私なりの解決策を示しておきたい。

そのためには、まず第一に、下位項を左に、上位項を右に置くことにする。つまり、全体を右に90度回転させたような配置にするのである。すると、英語なら

 I    eat
 meat

のようになり、日本語なら

 私は   食べる
 肉を

のようになる。

これだけ見ると「同じじゃないか」と思われるであろうが、ここで一工夫すると全然違ってくる。それは縦方向の位置である。
つまり、英語なら

  I
   \
    eat
   /
 meat

のようにし、日本語なら

 私は
   \
 肉を─食べる

のようにするのである。こうすれば、テニエールの図系の内容を維持しつつ、語順も正確に表現することができる。もちろん、もっと複雑な図の場合もまったく同様である。

志のある方は参考にされたい。
posted by 物好鬼 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

主語(あるいは目的語など)を修飾する vs. 名詞を修飾する

今回は眉につばを付けながら読んでいただきたい。テーマは副詞の“only”である。

典型的な使われ方の一つとして

 “Only he can do it.”

のようなものがある。この場合、この“only”は“he”を修飾している。そこで“only”は「名詞を修飾する副詞」だと言われることがある。はたしてそうなのか、である。

ここで主語を“a genious”に置き換えると、文全体は

 “Only a genious can do it.”

となる。見てのとおり、“only”は“genious”ではなく“a genious”の前に置かれている。

この事実は何を示唆しているのだろうか。専門家でない私にはよく分からないのだが、分からないなりにあれこれ考えた末に思いついたのは、

 最初の例で“only”が修飾しているのは
 “he”という代名詞それ自体ではない

ということである。

では“only”が修飾しているのは何か? 答えは、

 主語としての“he”/“a genious”

である。

話が分かりにくいかもしれないので敷衍する。

上に挙げた“he”や“a genious”は単独で存在しているものではない。あくまでも文中の具体的な位置に置かれているものである。ということは、これらのパーツには主語としての地位(つまり「○○が/は」)が貼り付いているはずである。これは目に見えないものだが、この区別は大切である。そして“only”が修飾しているのは、この「主語としての地位が貼り付いた後の(代)名詞句」であって、裸の(代)名詞句それ自体ではない−−のではないかというのが私の仮説である。

もちろん、目的語、補語、前置詞の目的語などに関しても同じことが言える。“only”は「それぞれの地位が貼り付いた(代)名詞句」を修飾しているのであり、名詞や代名詞を(形容詞が修飾するのと同じ意味合いで)修飾しているのではない。

結局のところ、副詞とは、修飾語句のうち形容詞と呼べないものの総称である、と考えてみてはどうだろうか。(「行政」や「社会学」の定義には控除説と呼ばれるものがあるが、それに似ている気がする。)

……なんてことを考えてみたのだが、そんな学説はないのだろうか。
posted by 物好鬼 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする