とはいうものの、私は決して音声学の専門家ではないし、関連領域について詳しい知識は持ち合わせていない。音声学に関する本は少しばかり読んでいるものの、今はまだ通説に従っているだけであり、オリジナルな考え方を持つに至ってはいない。別に発音の指導をしているわけではないので、それでも問題はないだろう…ぐらいに考えている。
そう言えば、しばらく前に『日本人のための英語発音完全教本』という本を紹介したこともあるが、それは他に例を見ないほどの詳しい解説ゆえであり、新機軸である「ドッグブレスと母音の共鳴スポット・声のベクトル」(リンク先コメント欄に著者による書き込みがあるので参照されたい)については、いまだに納得できないでいる。
ところで、私は4年近く前から Facebook をやっている。ここ最近は英語教育を中心とした教育関係の人々とのネットワークを構築しているが、「友達」になった人の中には有名どころも何人かいる。中でも異色なのが『英語喉』の上川氏。上記の「‘sleeping cat’と‘sleeping bag’のアクセント」にもコメントをもらっているが、Facebook 上でもやりとりは比較的多いと思う。通説に従っている私とはかなり考え方が違うのに、だ。
そんな折も折、昨日から今日にかけて「英語におけるアクセントとは何か」といった話題で彼とかなり盛り上がった。私のスタンスは上記の通りなので、「通説と違う主張をするのであれば、素人の私ではなく、専門家を説得してくれ」という意味のことを書かせてもらったりした。
そして今日の夕方。月末が給料日の私はもらったばかりの給料を握りしめて(というのはもちろん誇張だが)日本橋の丸善に行き、面白そうな本はないかとアチコチの棚を見て回った。そのときのこと…。
歴史関係の本を一通り見た後、ついでに反対側の棚にある哲学の本を見ていたら、そのすぐ左隣にあった言語学の棚に音声学関連の本が少しばかり並んでいるのに気が付いた。上川氏とのやりとりを思い出して「詳しい本は何かないかな…」と思って眺めていると、『日本語のアクセント、英語のアクセント』(杉藤美代子著、ひつじ書房、cf.詳しい目次)という見慣れない、薄い本があるのを発見した。奥付を見ると「2012年7月25日 初版1刷」とある。ほんの2ヶ月前だ。
続けて「あとがき」を開いてみてビックリした。そこには次のように書かれていたのだ。
従来、日本語は高低アクセント、英語は強弱アクセントとされてきた。
しかし、東京と大阪のそれぞれ生粋の話者の発話による500単語余り、また、英語話者の400単語余りについて、音声波形の各波長を実測した結果、アクセントは、いずれも声の高さと音調の動態によるものであることが明らかになった。さらに、合成音声を用いた実験を行い、アクセントが強さの変化とは関係がなく、高さの変化によって知覚されることもわかった。その上、音声医学的な手法、つまり、喉頭筋電図の採取によって、日本語のアクセントと同様英語のアクセントも、ともに声の高さの変化によるものであることが明示された。
A5判120ページほどのコンパクトな本だが、その内容は実に面白い。グラフもいろいろ載っている。それに、著者の杉藤氏は「元日本音声学会会長」とのことであり、決してそんじょそこらの素人ではない。その意味において、同書は、上川氏にとっては強力な援軍になるのではないだろうか(とっくに知っているという可能性もあるが)。
さて、ここで私はどのような態度をとるべきか、についても考えておくべきなのかもしれない。
上にも書いたように、この著者の主張は多くの実証的資料を伴ったものであり、説得力はかなりあるように思われる。それに私自身、通説に従う義務があるわけではない。
しかし、だからといって、この領域について専門的な知識を持たない私が不用意に飛びつくのは危険だろうとも思う。というのは、元理系の私としては、どうしても物理学における「相ま系」(「相対論はまちがっている」系の主張)の問題を連想してしまうからだ。
あくまでも私見だが、態度を決定するために私がやるべきことは、まず第一に、同書の内容を精査し、達成・未達成をできるだけ正確に把握することであり、第二には、同書の内容に批判的な立場からの意見についても同様の作業をすることである。前者だけでなく後者も必要なのは、素人の場合どうしても「よさそうなもの」に引きつけられがちだからだ。
そのためには、杉藤氏の学説が音声学の世界でどのように受け入れられているのかを是非とも知りたいところだ。しかし、ネットで検索してみても、どういうわけか何も見つからなかった。氏の主張は明確な根拠を持ったもののように思われるのだが、斬新さゆえに黙殺されているのか、あるいは単に私の探し方が悪いだけなのか。
最後になったが、この本を見つけることができたのは、上川氏と関連テーマでの議論をしていたからこそであろう。それは偶然ではあったが、それでも上川氏には少しくらいは感謝しなくてはなるまい(笑)。