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2012年08月25日

英語は「通じればよい」のか??

(Facebook に投稿したもの。)

英語に関しては「通じればよいのだ」「細かいミスは気にする必要はない」という意見をよく耳にする。

英語学習の目的は人それぞれだから、頭ごなしに否定するつもりはない。が、危惧する部分はある。

まず、「通じればよい」という発想で学んでいるうちは、「何とか通じる」レベルにしか到達しない可能性が高いのではないか、という点。

もう一つ、仮に「よく通じる」というレベルに達したとして、その時点で「もっと上を」と心変わりする可能性はないか、そのときに困りはしないか、という点。

前者は今は措くとして、後者は少し深刻に考えたほうがよいと思う。後から軌道修正しようとしても、体に染みついたクセはなかなか取り除けないからだ。

そのためには、発音と文法の基礎(だいたい中学レベル)はシッカリとやっておくべきだろう。この2つは後から修正するのが困難であるだけでなく、その学習者の人間性が如実に表れる部分であるように私には思われるのだ。

(基本的な文法構造の学びには英文構造図がとても便利です……と宣伝してみる。)

posted by 物好鬼 at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

困難だからこそ燃える  〜東大受験と英文構造図と〜

高三の、おそらく冬のはじめころだったと思う。模擬試験の判定は「東大合格可能性:E」つまり5%以下というものだった。それまであまり熱心に勉強していたわけではないので、無理もない話ではあった。

その頃行われた進路面談では、担任から「大橋は浪人しても東大は無理だ。仮に浪人するとしても、宅浪はやめろ」と言明(?)された。剣道六段なのに随分安全志向な考え方だな、と当時の私は思った。

しかし、どういうわけか東大以外への進学は私の頭にはなく、また塾や予備校を使って他人のペースで勉強をするつもりも一切なかった。まあ、塾・予備校に関しては、行こうとしても財政的に無理な状況ではあったのだが。

結果は2年の宅浪で無事合格。母校に報告に出向いた際、件の元担任殿は「おー、よくやったなあ」とか何とか曰(のたま)ったと記憶している。自身の過去の発言は覚えていないようだった。

結果的に受かったからいいようなものの、もし私が普通の素直な生徒だったら、挑戦すらしなかっただろう。その意味からは、生徒を守りに入らせるような発言は安易にすべきではないと私は思うのだ。

若いうちはもっと冒険するぐらいがちょうどよい。真剣に取り組んでいれば、失敗からも多くのことが学べる。あまり心配する必要はない。それよりも、挑戦しなかったら、最初から成功見込みゼロなのだ。

さて、昔話はともかくとして、今の自分が挑戦すべき「無理」は何なのだろうか。

私独自のテーマとしては、やはり英文構造図(と行く行くは上達論も)ということになるのだろう。あえて言わせてもらえば、これらは私の「生きた証」である。もちろん、今後レパートリーが増える可能性もあるし、是非そうしたいと考えている。

今は英文構造図に絞る。

トニー・ブザンのマインドマップは日本でもかなり有名になったが、汎用的すぎるキライもある。英文構造図は目的が明確なので、そこが強みになるだろう。

万人受けはしないとしても、存在を知れば価値を理解してくれる人もいるはずだ。だから、SNS などを多角的に活用して、まずは一人でも多くの人に知ってもらうこと。それが全ての基礎になると思う。

posted by 物好鬼 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

学校の勉強は役に立たない?

別に大した意見を持っているわけではないのだが、思いついたことをメモしておきたい。


まず、「役に立たない」派の人たちは、各科目の個別的な知識や理解を問題にすることが多いが、そういう人たちの主観とは裏腹に、実際には学校で習ったことが役立つ場面・空間は少なくない。英語などはその最たるものだが、数学や国語もそうだ。

「自分は英語も数学も必要としてないよ」と嘯(うそぶ)く人は、そういう恵まれた(?)環境にいるだけにすぎない。自分が必要としていなくても、社会全体としてはそうではないのだから、その点は正しく認識する必要があろう。


ところで、勉強の役立ち方はそれほど単純ではない。上のような「各科目の個別的な知識や理解」だけでなく、「発想」とか「頭の使い方」が役立つ面もあるからだ。「個別」よりも対応する幅が広いので「特殊」面であると言えようか。

その典型が数学的なものだ。

高校に行けばほとんど誰もが微分積分や数列や行列を習う。その知識を実社会で使う人は確かに少ないだろうし、私もあまり使わない。プログラミングをしていると数列や行列は使うが、微分積分は(私個人としては)ほとんど使わない。

しかしそれでも、それらのテーマを学ぶ中で身に付けてきた頭の使い方は役に立っていると感じる。一つひとつ段階を追って確認しながら考えるというのもそうだし、具体的な問題を論理・数理という抽象化されたかたちで捉え返すというのもそうだ。

ただ、「センター試験のために嫌々勉強した」という程度だと、この種の恩恵はほとんど受けないだろうとも思う。頭の使い方というレベルで役立てられるようになるには、かなり熱心に勉強する必要がある。そしてここまで来れば、さすがに「学校の勉強は役に立たない」という主張はほとんど無意味だとわかるだろう。


さて、勉強の役立ち方として「個別」「特殊」の2種類をとりあげてきたが、役立ち方はそれらにとどまらない。

私に言わせれば、学習経験が持つ最も重要なポイントは、「必要に応じて新しいことを勉強し、自分のものにできる」という確信・自信だ。自分で目標を設定し、自分で計画を立て、自分で実行(勉強)し、自分で反省・軌道修正し、自分で成果を出す…というプロセスを経験しておくことは、全然別の分野であっても一般的に役立つものだからだ。(逆に言えば、学校の勉強以外のことでも同様の効果を発揮しうる。)

その意味で、受験勉強はとても貴重なチャンスである。「自分で目標を設定し……自分で成果を出す」ことを大々的にやれるだけでなく、最後に「みんなで喜ぶ」というオマケまで付いている。だから、全力で頑張らないのは実にもったいない。


以上を要するに、「学校の勉強は役に立つか」という問いに対する答は「大いに役に立つ」であり、それも個別/特殊/一般の三重構造で役立つのだ、ということである。


ところで、つい最近だが、ひょんなことから自分自身の浪人時代について振り返る機会があった。具体的には、当時読んでいた本を並べてみたのだ。懐かしい本たちを見て実感するのは、<貪欲さ>というものがいかに大切かということだ。

私は2年ばかり宅浪したが、その間にはいわゆる受験参考書以外の本を何十冊も読んでいる。その中には武道論・自然哲学・論理学などの理論書、学習術・能率術などのノウハウもの、それからメンタル面を支えるための本などがある。

そしてそれらのうちの10数冊はボロボロになるまで読み込んでいる。逆に言えば、受験勉強に割いた時間はそれだけ短かったことになる。もちろん、受験参考書も一部はボロボロにしたが、そうでないものの方が圧倒的に多かったようだ。

それで感じるのは、単に時間とかページ数とかではなく、取り組むときの「熱」がポイントだったのだろうということ。今考えてみると必ずしも効率的とは言えない勉強方法ではあったが、それでも「熱」「貪欲さ」という意味では今よりもはるかに優れたコンディションだったように思える。今の私にはその点が不足していると反省している。

高校生や大学生であれば夏休みという貴重な期間が始まったばかりでもあるし、是非そのチャンスを最大限活用していただきたいと思う。

posted by 物好鬼 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

下準備の重要性

(Facebook に書いたものを少し改変)

「あなたがなすことの全ては、あなた自身の選択にかかるものであって云々」といった内容の名言(?)をよく目にする。今日も、そんな内容が英語で書かれた画像を見かけた。

たしかに選択をするのはその人自身であり、そこで人間としての主体性が問われるのは事実だ。そのこと自体を否定しようとは思わない。

しかし、それでも上のような「名言」には何か違和感が残る。なぜだろう? ちょっと考えてみた。

それは、選択という精神的行動以前に、「どのような選択肢があるか」という重大な問題があるからだ。つまり、選択肢の設定という問題だ。

設定しうる選択肢の幅はさまざまな要因によって規定(制約)される。まず第一に、自分自身の過去の選択・実践によって。これは自己責任である。それから第二に、第三者の意志(法規範も含む)によって。そして第三に、誰の意志にも無関係な要因(自然現象や事故など)によって。第二と第三はどちらも、それ自体としては本人の意志によらない要因であり、結果が発生してしまったら、後から変更はできない。

さて、希望にかなった選択ができるには、それなりの選択肢が設定できていることが前提になる。それには事前の(往々にして長期にわたる目的的な)準備が必要なのであって、選択を迫られた時点で慌てても手遅れである場合が多い。

準備が大事なのは上の「第一」の類型に限らない。例えば、折りたたみ傘をバッグに忍ばせておけば、突然の雨といった自然現象(第三類型の一部)にもある程度までは対応できる。もちろん同様のことが他の類型についても言える。

つまり、ものごとは過程として見るべきであり、それを無視した「名言」は、見た目のかっこよさとは裏腹に、実際の問題解決にはほとんど役に立たない。それどころか、背後に隠れているヨリ重要な問題から目をそらさせてしまうという意味では、かえって有害でさえある。

もっとも、上のような駄文を書いていくうちに「ヨリ重要な問題」を意識できたりするのも事実であるから、私のような捻くれた人間にとっては有益なのかも知れない。その点、素直で信じやすい人は要注意だろう。

posted by 物好鬼 at 17:37| Comment(4) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

技の正確さと音感

(数日前に Facebook のノートに書いたもの)

音楽なんてカラオケ以外は全然やらない私だが、ちょうど1年前の今ごろ、「技の正確さとは何か」について考えたことがキッカケで絶対音感なんてものに興味を持つようになった。さきほど近所の書店で手頃そうな文庫本を見つけたので、この機会に絶対音感の問題に立ち返ることにした。

武道の技は通常「こんな形」「こんな位置関係」「こんなスピード」「こんな力の入れ具合」等々の合成されたものとして覚えるところから始める。しかし、実際に使われるときは、自分が置かれた個別具体的な状況の中で<適切に>対応しなくてはならない。それはテニスでも語学でも大差ない(しかし、体操やバレエやフィギュアスケートは異なる)。

だから、技の正確さについて考えるときも、その基準のとりかたは「最初に覚えた模範的な動き」と「その状況下において為すべきと考えられる動き」という両面から見なくてはならない。

これと同じことが音感についても言える。絶対音感と相対音感の問題がそれだ。私の考えでは、絶対音感は正確な記憶を想起して用いるものであり、相対音感は音の間の距離間隔を認識した上での演算処理だ。

音楽の場合は、絶対音感はあるが相対音感はない人、その逆の人、両方OKな人…といったタイプのそれぞれについて得手不得手が生じているようだが、おそらくは他のジャンルにも似たようなことはあるだろうし、それはいわゆる才能の問題として現象することが多いだろう。となれば、上達論の重要テーマの一つとして検討する必要がある。


ところで、音楽には素人である私はどんな音感を持っているのかというと、どうやら絶対音感と相対音感の双方をかなり中途半端なかたちで持っているらしい。

好きな歌は何度も聴いて、オリジナルのキーのまま覚えてしまう。これは中学時代からの習慣で、30年以上たった現在でも続いている。シッカリと覚えた歌については、前奏などのヒントがなくてもオリジナルのキーで歌える。

でも、そんなことができるのは個別にシッカリ覚えたものに限定されるし、違うキーで何度も歌っていると記憶の正確さが徐々に失われてしまう。それはおそらく音の記憶が音名と結びついていないことに主な原因があるのであろうが、いずれにしても、私の絶対音感はかなり中途半端なものだ。

一方、大半の歌はキーを変えても歌えるが、一部例外がある。それはだいたい、(1) 微妙なメロディーの部分とか、(2) ハモらなくてはいけないもの、である。これらの場合は、頭の中での演算処理が追いつかない関係で記憶に頼ってしまうので、オリジナル以外のキーだとうまくいかないのだ。だから、私の相対音感もやはり中途半端なものだ。



posted by 物好鬼 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワーキングメモリに頼らないことも大切

かつて「2秒以内に言えることは記憶しやすい」にも書いたように、英語の例文を反唱する場合、およそ2秒以内で言えるような短いものであればワーキングメモリ(WM)内でぐるぐる回し続けることができる。

そのときはクジラ構文の例文を覚えたわけだが、最近になって多数の例文でリピーティングを試みたときには、音声面の訓練としてはたしかに有用だったものの、例文の記憶という意味では芳しい結果が得られなかった。

それはおそらく例文を再現するのに適当なトリガーを設定しなかった(つまり和文などを見てそこから英文を復原するというやり方をしなかった)からであろうが、それに関連すると思われる記事を最近になって発見した。特に「Q.勉強でワーキングメモリは重要か?」という項目の末尾が興味深い。

次に、内容を一度ワーキングメモリから完全に追い出さなくてはなりません。和文英訳の場合なら、2回目に反復するときに、必ず一度和文を頭に入れてワーキングメモリから英文を追い出してしまうことです。何も見ずに英文が言えるのは、何も組み合わせていないのですから何も覚えていないのと同じことなのです。 (出典

対象物(英文)が目の前(WM内)にあるとそれを使ってしまうので、わざわざ隣の部屋(海馬)まで取りに行かなくなる。しかし、取りに行けるようになることが目標なのだから、それをしないのでは意味がない。そこで、目の前(WM内)に別のもの(和文)を置くことで、対象物(英文)を一旦どけてしまう。そうすれば、その「別のもの」(和文)に対応するものを隣の部屋(海馬)まで取りに行く」という作業をしなくてはならなくなる。この繰り返しが記憶のミソだ、という話である。



posted by 物好鬼 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月27日

歌の練習をしてみて

まじめに歌を覚えるなんて何年ぶりだろう。ひょっとして初めてかもしれない。人前で歌ったことは過去にも何度かあるが、それらは慣れ親しんだ曲から好きなものを選んだだけだ。

今回はちょっと違う。問題(?)の曲を初めて聴いたのは95年の春のこと。それもノリのいい曲ということもあって、かなり耳には残っていた。しかし、先週の段階では、歌詞は半分くらいしか覚えていなかったし、メロディにもあやふやな部分があった。

数日前から再学習をしていて、今日の時点で何とか歌詞も覚え終わった。それで痛感したのだが、早めに歌詞を覚えてしまうことには、少なくとも3つのメリットがあるようだ。(歌詞はもっと優先的に覚えるべきだったと今は思う。)

その第1は、歌詞が記憶の核になること。

CD は何度も何度も繰り返して聴くのだが、歌詞を覚えた後は、メロディや声色などの情報が歌詞に結びついた状態で記憶されるようになる。特に今回の歌は1番と2番とで男女が入れ替わる部分があるし、その一部は(今日になって気付いたのだが)メロディも違っている。歌詞を覚えないでいたら、そういうことにも気付かなかったかもしれない。

第2は、(第1の点とも関連することだが)いつでもどこででも練習できるようになること。

ノリのいい曲の場合、だいたいのメロディは簡単に覚えられるものだが、いざ鼻歌的に歌ってみようと思っても、歌詞を覚えていないと「ラララ…」とかでごまかすしかない。メロディと歌詞をセットで覚えておけば、音声も歌詞カードもないところででも練習することができる。この違いは大きい。

第3の点は、本番における脳の資源配分の問題。

歌詞を覚えたと言っても、本番では画面に表示されている歌詞を見ながら歌う。「だったら同じじゃないか」と思ってはいけない。歌詞を覚えていれば画面をチラッと見て確認するだけで済むが、よく覚えていない場合は、歌詞を間違えないように画面にかじりついて歌うことになる(こういうのは極端な例を思い浮かべると理解しやすい)。これでは、歌詞以外のこと(歌い方とか)に頭が回りにくくなる。本番の方が練習よりも緊張するのはほぼ確実なのだから、練習の際には頭に大きめの負担をかけておいた方がよい。

以上の点は、実は語学における音声素材の使い方にも関連している。CD の曲を聴きながら口をモゴモゴさせるのはマンブリングだし、声を出せばシャドーイング、歌詞を見ながら歌うのは音読だ。現在の私は暗唱段階にある。これを英語学習にどう役立てるかについてはちょっとしたアイディアもあるのだが、確信を持てるようになるにはある程度の実験も必要なので、紹介するのはまたの機会にしたい。

posted by 物好鬼 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

能力開発には2つのプロマネが大切

(Facebookに書いたもの)

実力を向上させる取り組みは、ビルの建設に似ている。目標が決まったら本格的な設計図を描き、作業を分割し、スケジューリングし、必要な資源を調達した上で、しかるべき順序と熱心さで相応の資源を投下して、はじめて真っ当な結果が出せる。

これは文字通りの意味でのプロジェクトマネジメントを必要とする作業だ。だから、自らの目標達成に必要と思われる範囲でよいからプロジェクトマネジメントの勉強をして、それを自らの学習に適用すべきである。これが1つ目のプロマネ。

ところで、設計図や作業分割を適切なものにするには、目標とする能力(いわゆる「技」に限られない)が有する過程的構造と、自分自身がそのレベルへと至る<上達>の過程的構造とを、それなりに見抜かなくてはならない。

これはなかなか困難な作業であり、体系的な方法論(上達論)はまだ存在していないと思う。しかたないからその不足分を自力で埋めたいわけだが、その際に有効なのが、プロと呼ばれる人々を模倣することである。これが2つ目のプロマネ(真似)。

ただし、模倣するに当たっては、目標とする人物の現在の姿だけでなく、そこに至るまでのプロセスをよく観察しなくてはならない(2種類の過程的構造に対応)。と同時に、個性や環境の違いにも配慮する必要がある。

残念なことに、能力的な目標については現在の姿ばかりが注目されてしまうことが多いと思う。武道などは特にそうで、最初から達人技を求めてしまうケースが後を絶たない。いわゆる「秘伝」なるものも、そういった幻想の一因なのかもしれない。

(……と、書くだけ書いてみた。)

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2012年03月26日

「できないこと」を「できること」に転化させるには

人間は「できること」を繰り返すことによってのみ、「できないこと」を「できること」に転化させることができる。
(21年前に書いた私の卒論(91年1月に東大教育学部に提出)より)

「できないこと」を繰り返すのではない。できないことはできないのだから、繰り返しようがない。ここを誤解している人が多い。

一口に「できること」と言っても、その中には「@意識しなくてもできること」から「A意識したときだけできること」まで幅があり、Aを反復すると@に転化する。そうすると、Aの外側にある「B意識してもできないこと」の一部がAに転化する。

@意識しなくてもできること
 (現在の実力と呼べるもの)
   A意識したときだけできること
    (反復すると@に転化)
      B意識してもできないこと
       (Aが@に転化するのにつられて一部がAに転化)

あとはその繰り返しである。

その論理について少し敷衍するならば、Aは「意識したときだけできること」であるが、裏を返せば「意識しないとできないこと」でもある、ということが大切である。この中間的な性質こそが、「上達」という運動のカギとなるのである。

ただし、@の内部にもレベルの違いがあるため、@もまた反復の対象となることは論を俟たない。

蛇足ではあるが、「レベルの違い」は@の内部だけでなく、AおよびBの内部にも存在する。また、@A間についてもAB間についても、明確な境界が存在するわけではない。揚げ足取りを試みる人がいるといけないので一言しておく。

追記 on 2013/01/20)
似たものとして、The Learning Zone Model (Senninger, 2000) というのがあります。

※関連する記事:上達の最近接領域(ヴィゴツキー批判)

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2012年03月24日

『司法書士5ヶ月合格法』

もちろん英語学習の本ではないのだが、たまにはこういうのも読んでみると参考になる。私は司法試験を受験していたことがあるので、この種の本は幅広く収集している。法律に馴染みのない人も多いだろうが、司法書士試験受験者にとっての六法全書が外国語学習者にとっての辞書に相当するのだと考えれば、少しは身近に感じられるかもしれない。

アマゾンのレビューを見ると賛否が分かれている。しかし、中には立ち読みだけで書いたと明記されているものが1件あるし、それ以外にも表面的な理解に基づくコメントがかなり多いように思う。

ちなみにアマゾンは最近「Amazon Vine 先取りプログラム」というのを開始したので、そのメンバーによるレビューを中心に読むようにすれば、「立ち読みだけで」の問題は回避できよう。それでも読み方が表面的なのはどうしようもないので、結局は自分が立ち読みして判断するしかない。

著者は 高校中退→大検→司法書士超短期合格 という変わり者(大学については書かれていない)。とは言え、文章を読む限りでは、なかなか頭のよい人なんだろうと想像する。

肝心の内容だが、私にとって最も参考になったのは、著者が「情報の一元化」より「検索先の一元化」が有効だと主張している点である。思い出そうとする機会を一元化するものだと言ってもよいと思うが、これは英語も含めあらゆる分野に使える考え方だと思う。あまり書くとネタバレになるので、ここではこの程度にしておきたい。



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2011年12月04日

教材はバラして再編集して酷使する

『図でわかる英文の構造』であるが、最初の部分はだいぶ形になってきたものの、そこから先はなかなか難しく、手間取っている。間違ったことは書けないので、慎重にならざるをえないのだ。

ところで、この本の特徴は構造図の活用にある。また、5文型の展開を説明するときの構成は独自のものになっている。しかし、各項目の説明内容には特に新しいものはない。

そんなわけで、説明内容の元資料としては、高校生向けの構文の本などを使用している。ただ、説明の順序が違う関係で、普通の使い方ではあまり便利とは言えない。そこでちょっと工夫してみた。

それが、今回のタイトルである「バラして編集」である。最近は「自炊」のために本を裁断する人も少なくないが、それでもやはりもったいないと思う人もいるはずだ。実は私もそうだったのだが、活用しないで死蔵するくらいなら、むしろ形式にこだわらずに酷使すべきだと考えるようになった。

さて、私が使っている参考書は複数あるが、バラそうと思ったものはいずれも見開きが単位になっていて、左ページに説明、右ページに問題という構成になっている。執筆の元資料としては左ページ(説明)だけあれば足りるので、全ページをカッターナイフで切り取って、左ページの左端(本の前小口側)にゲージパンチで穴をあけてルーズリーフ状にした。そして、それらをそれなりに並べ替えて区分し、適当な分量ごとにA5バインダー計4冊に綴じた。今回は左ページしか必要なかったので切るだけでよかったが、もし左右両ページが必要であれば、古本屋で同じものを2冊購入してもよい。

さらに、並べ替えの作業にも少し工夫をしている。具体的には、付箋(Post-it)に見出しを書いて貼り付けたのだ。現在は2階層で分類になっている。付箋のおかげで並べ替え作業もしやすくなった。その作業に数日を費やし、ようやく完成したのが先月末。

現在は、このファイルをマメに参照しながら執筆している。自分で書いた原稿もA5の紙に印刷して一緒に綴じてあるので、関連する箇所をいつでも参照できる。書き直しはリーフ上にメモをしておいて、必要なページだけ更新・印刷して差し替える。便利なことこの上ない。この勢いに乗って、年末までには何とか全体を書き上げたいと考えている。

私の場合は自著の執筆が目的であるが、純然たる学習者がサブノートを作成するのにも、同じ方法が使えるだろう。もし部屋の中に手頃な教材が何冊かあれば、そのうちの1冊を裁断することから始めてみるとよい。実際にやってみれば、学習の主役は自分なのだということが実感・再確認できるはずだ。それに、教材を裁断することで「引き返せない」という気持ちになるので、これまでとは少し違った緊張感で勉強できる。この機会に是非お試しいただきたい。
posted by 物好鬼 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

構文を説明できるか ≒ 公式を証明できるか

数学の問題を解くとする。例えば2次方程式の解を求めるとしようか。その際、いわゆる解の公式を用いて答を導いたとして、それは果たして「できた」うちに入るのだろうか? 答を元の式に代入すれば確かに等号が成り立つ、というのでは不十分である。公式を使う以上は、その公式の正しさを説明(証明)できる必要がある。あえて言わせてもらうなら、それができない人にはその公式を使う資格はない。

なぜか? それは公式の使用とは、「ここはお互いに分かっていることだから省略して近道しますよ」ということだからだ。実際のところ、ある程度複雑な問題を解くときには、こういう近道なしでは却ってややこしくなってしまうから、公式の使用は避けられない。しかし、だからこそ、あくまでも方便であるということを忘れてはならないと思う。つまり、証明できない公式を使うのは「ズル」でしかない、ということだ。

かく言う私は高校生の頃、自分自身に対して「証明できない公式は使わない」というルールを課していた。それで、数学でも物理でも化学でも、教科書や参考書に登場するあらゆる公式・定理に関して証明方法を学び、自分に必要と思われるものはソラで再現できるようにしていた。実際のところ、そういうプロセスを踏まないと正確に覚えられない、というのもあったかもしれない。意味の分からないものを無理矢理覚えることが苦手な子供だったのだ(それでも購入したレコードについては歌詞を全部覚えていた)。これは損な性格だろうか?

しかし、物理などはそれだけで得意科目になったと言ってもよいくらいだから、決してムダではなかったのだろう。少なくとも私には良い学び方であったと思っている。
(物理に関してはもう一つ、「問題を解くのに必要な物理量を問題文と図から一つ残らず正確に抽出する能力」というのも必要なのだが、それは早い段階で力学の優れた参考書に出会っていたおかげで比較的簡単にクリアできた。そのポイントは、「大きな、分かりやすい図を、労をいとわず描くこと」。考えてみれば、あの頃から図式化が好きだったわけだ。)

同じことが英語の構文にも言える。つまり「なぜそんな形になるのかが分からない構文はできるだけ使わない」ということだ。逆に言えば、使いたい構文については、その成り立ちについてできる限りの理解を試みること。少なくとも私の場合、そういう理解が伴わないと、使っていてもスッキリしない。たとえ形式上は100%正確な言い方をしていると思われる場合でも、ピンとこないと実感がこもらない。それでは気持ち悪いし、充分なコミュニケーションとは言えないだろう。

もちろん自然言語の文法には、理屈で割り切れない(or 割り切りにくい)部分が少なからず存在している。だから、専門家の間でも考えが分かれることがあるし、そのようなものについてはあまり深入りする必要はない(でも深入りするのも楽しいと個人的には思う)。とは言え、ヨリ基本的な構造との間のつながりを理解し、具体例において実感できるように取り組むことは、非常に大切である。

以上は、形式に中身を伴わせるという話であるが、逆に、中身に形式を伴わせるというのもある。

実は私の近所に「やむをえず」を「やもうえず」だと勘違いしている人がいる。その表現を使うときのその人の内容理解にはとりたてて問題はないのだろう。その人は何十年も生きてきて、その中で具体的な経験をたくさん積み重ねてきているはずだからだ。しかし、こういう形式上のミスはやはり恥ずかしい。そしてこのミスを避けるには、要は「已むを得ず」(“cannot help”に似ている)なのだということを知っていれば足りるのだ。ちなみに私の場合は、口語化される前の刑法にあった「已ムコトヲ得ザルニ出デタル行為」というのが役に立ったように記憶している(少数派?)。

これと似たようなことが英語の構文や慣用表現についても起きる可能性がある。だから、変な言い間違いを避けるためという意味からも、内容と形式との関係は少しでも理解していたほうがよい。単語の綴り間違いを防ぐのに語源が役立つのも、これと同じ理屈である。
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2011年09月07日

簡易構造図作成ツールがさらに便利に

このスタイルとしてはおそらく世界初の 簡易構造図作成ツール であるが、この数日間に少しばかり成長した。

まず第一に、作表機能のうち、一番左上のセルからのセル連結ができるようになった。

もう一つは、[変換]ボタンが[自動変換開始]ボタンに変わったこと。一度クリックすると、その後は自動的に元データを読み込んで変換してくれる。試しに適当なサンプルを開いて手を加えてみるとよい。今までよりも簡単に、気楽に、試行錯誤できるはずである。
※それとは逆に、「ソース」についてはその都度[表示]ボタンを押すことになった。

基本的な機能としては、だいたいこんなもんかな…と思っている。もちろん自分で使いながら拡充していくつもりではある。ご要望等あればコメント欄まで。
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2011年03月05日

A6ノートで何でも理解・記憶・参照

単語や例文をどう覚えるかは学習者の大半が悩むところであるし、このサイトのテーマもそこに大きく関わっている。

サイト開設直後には私も単語の覚え方について「あ〜でもない、こ〜でもない」と考えてみたことがあったが、意に反してあまり実りはなかった。その理由を考えてみると、具体的に「これを覚えたい」というものを持っていなかったからだろうと今は思う。

世の中にはいろんな教材があるが、大事なのは自分が覚えたいと思えるような素材を用意できるかどうかであろう。となると、単に既存教材のどれかを選んで使うだけでは、たいていの場合は不十分なはずだ。必要に応じて自分なりに手を加えて利用する、という態度が大切である。

これに関連することは、少し前にも「自分本位のノートを作れ」として書いたことがある。語句や例文を覚える場合でも同様である。

そんなこんなで、私もようやく自前のノートを作成しはじめた。ただし今回は(数年前と同様)A6つまり文庫本サイズのノートを使用し、手書きで作成している。もちろんパソコンで作るならA5が便利だと思うが、今回は携帯しやすさを重視してA6にした。

問題は、その構成である。

基本的にはQ&Aなのだが、QとAしか載せないのでは想起が力業になりすぎるキライがある。高速で何度も回転すれば覚えられるとは思うが、それだけというのは私の考えに合わない。そこで私が重視しているのは、媒介項としてのヒント類を活用することである。典型的なヒント(QからAを想起するためのもの)は当然であるが、私は項目間の関係も重視している。

まず「典型的なヒント」であるが、これは想起のキッカケとして使えるものであれば何でもよい。ほぼ汎用的に使えるのが、Aの頭文字(英数字なら2字)である。ボキャビルの場合なら、直訳的な表現(ex. 廃棄物→ムダ→waste)も役立つし、何となればゴロ合わせを使ってもかまわない。

もう一つの「項目間の関連」というのは、ボキャビルにおいては単語間の関係のことで、形態面(語源・派生)、内容面(同義語・類義語・反対語など)、その他(同じ場面で使われるとか)がある。例文学習の場合は、文の内部構造となる。

この1ヶ月半ほどは「レイアウト実験」というタイトルのノート(もちろんA6)を作成して、いろいろなレイアウトや記述方法を試してきた。これには英文構造図の簡易版も含まれる。いくつかのノウハウを効果的に組み合わせた結果、英語学習に関しては例文と語句とを統一的な方法で扱えるようになった(語学以外での使用も考慮している)し、記憶効率も悪くないようである。詳細は他日を期したい。
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2011年02月09日

多段変速リスニング・つづき

ウォークマンで2倍速とかにしてリスニングをすると、意外なくらい簡単に聴き取れた。ナチュラルスピードの素材を2倍速にしたのだから、相当なスピードだ。それが聴き取れれば気分は悪くない。いや、非常によい。しかし……、である。

言うまでもないことだが、単なるリスニングよりシャドーイングの方が難しく、ヨリ手間取る。同様に、シャドーイングよりもスピーキングの方が難しく、ヨリ手間取る。これは、実際にやってみて痛感したことだ。リスニングは2倍速でもできるようになったが、シャドーイングは元のスピードでもなかなか難しい。スピーキングについては言わずもがなである。

リスニングのスピードが上がれば、そのうちシャドーイングのスピードも(上から引っ張られて)少しは上がるだろう。でも、それほどは上がらないだろうなあ、とも思う。スピーキングについては尚更だ。

だから、リスニングのスピードアップばかりやることには危険を感じる。シャドーイングやスピーキングとのギャップがどんどん広がっていく可能性が高いからだ。TOEIC高得点者でもあまり喋れないという人は少なくないが、彼らと同じ轍を踏むことになってしまう。

では、どうするのがよいのか? 答えは簡単で、シャドーイングやスピーキングの訓練に力を入れることだ。そうすることでリスニングの能力を下から押し上げるのである。

これは過去にやった人が何人もいる。

「“音記”すればスピーキングのみならずリスニングもぐんと上昇します。リスニングもというよりは、スピーキングよりリスニングの進歩にその上達が顕著に現れるのです。スピーキングの練習−口頭練習−音記すると、その結果、スピーキングの成長を自覚するよりはずっと先にリスニングの向上をはっきりと感じるはずです。」
(山本大『元祖!スピードスピーキング』p.182)

「私は、FEN放送はBGM扱いにして、話す勉強に努力を集中することに決めました。そのために語彙をどんどん増やし、慣用句もたくさん覚えました。すると面白いように早口の生の英語がわかってきました。」
(長崎玄弥『長崎玄弥の英語の攻め方』p.165、初出はヒヤリングマラソン第1号)

「普通の英語(ネイティブスピーカーの喋る速さ)の速度で喋る練習をしてみましょう。人によって速さの感じ方は違いますが、いちばん遅いスピードでもまだ速すぎると感じるかもしれません。速く喋ることにプレッシャーを感じず、気楽にできるようになれば、どんなスピードにも慣れるのです。素早くできるようになると、速いと感じなくなるはずです。例えばお風呂に入る時、最初に熱く感じてもだんだん心地よく感じてくるのと同じです。
 もし、ネイティブスピーカーの速さで喋る練習をしていれば、聞くことにもついていけるようになるのです。」
(テッド・グレゴリー『英語スピード・トレーニング教本』「はじめに」)
 (同書はイソップ物語の要約版を分速200語で音読する訓練を行うもの。)

「望まれる、片寄りのしない勉強方法−−これは結局、読解力と作文力の間の実力の差ができるだけ小さくなるような方法で勉強することである。
 読解力の養成は、読み・書き・話・聞きの四つの中でも、もっとも進歩が速い。作文力は、書きと話の母体である。作文力がないのに会話ばかり勉強していると、何年たってもブロークンしか話せないのもあたりまえのことである。というのは、作文力こそ、正確な文法的知識に立脚するものだからである。
 ヒヤリングには、世間でさわがれているほど力を入れる必要はない。」
(種田輝豊『20ヵ国語ペラペラ』p.161)
 (比較の対象はリーディングであるが、リスニングの場合も同じことが言えるだろう。)

最初にも書いたように、リスニングよりシャドーイングの方が難しく、シャドーイングよりもスピーキングの方が難しい。そして、難しいものほどアタマに対する負担も大きい。負担が大きいことの方が、訓練の効果もおそらく大きい(もちろん、負担が大きすぎて努力自体が不可能になってしまったのでは本末転倒だが)。

というわけなので、私としてはこれまでどおり、作文力の養成を中心とした学習をしていこうと思う。リスニングよりシャドーイング、シャドーイングよりスピーキング、である。ただし、夜道を歩くときなどは、本やノートよりウォークマンを使うのに適しているので、そういった時間にはシャドーイングやリスニングにも取り組みたい。

なお、作文力養成の素材としては、先週から新しい教材に手を付けている(中尾『英作文』は再度挫折)。今回の教材はかなり強力なものだが、詳細については明日以降に紹介する予定である。その際には、攻略法についての現時点での考えも述べたいと思う。


蛇足

『英語は10回読めばモノになる!』だが、今日になってようやくテキスト(最初の単元の英文と解説)を参照した。聴き取れていない音は一つもなかった。まあ、ナチュラルスピードとはいっても簡単な文章なのだから、別に驚くようなことではないが。

リスニングと(音読なしの)シャドーイングしかしてこなかったせいか、スピーキングへの影響は全然ない。シャドーイングも、語句や言い回しの一つひとつに対するフォローが足りないと感じる。そのフォローとしては、テキストを読み、何度も音読したうえでシャドーイングに戻るようにすれば、そういったプロセスを踏まない場合よりも高い効果が出るのではないかと思う。(ここは今後の課題。)

蛇足の蛇足だが、今回読んだ解説中の「ポイント」欄(p.42)に「look upのような〈他動詞+副詞〉の句動詞では、目的語が代名詞の場合、look them upのように間に挟む。それ以外の場合は、look up the wordsのような語順になる。」と書かれている。前半は正しいが、後半は正しくない。目的語が代名詞でない場合、副詞は前置することも後置することもできるからだ。実際、英文中に登場する4つの“look up”のうち最後の1つは“look the unknown words up”となっている。まあ、ケアレスミスだとは思うが、イキナリではある。

posted by 物好鬼 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

ときにはガムシャラに

勉強というのは往々にして面倒くさいものである。毎日続けるといっても遅かれ早かれ飽きてくるし、そもそも勉強すること自体に辛さを感じてしまうことも少なくない。「三日坊主」という言葉があるが、三日も続けば大したものではないだろうか。私の場合、初日で挫折してしまったことが何度もある。

しかし、そんな状況は是非とも打開しなくてはならない。自分に合った勉強方法を探すのもよいが、勉強方法に合った<自分>を創ること(自己変革)も時として必要だろう。そのための方法としては、ショック療法がよいと思う。言い換えれば、インテンシブ・トレーニングである。

そもそも外国語習得ということ自体が一種の自己変革である。だから、「自分に合った勉強法を探す」ばかりでは、結局、「自分に合った結果しか得られない」で終わってしまうのも当然のことでしかない。となれば、よき学習者になるための自己変革は早めにしておくべきだということになる。

この点に関連する記述が、あの種田輝豊『20カ国語ペラペラ』にある。長くなるが引用する。

「少しずつ毎日」−−という行き方は、もう時代おくれである。
(2段落略)
 ムチャクチャに勉強して、完全にアキアキしてしまうところまでゆく。一日に八時間、首っ引きで入門書なり、読み物なりに没頭する。三日坊主に終ってもかまわない。やったことは、なにもかもすっかり忘れてしまってもかまわない。
 では、時間のムダになるではないか、と文句がでるかもしれないが、決してムダにはなっていないことを保証する。プロセスとしては、新しい語学ないしは新しいものという「ショック」に対して、頭を免疫にしたわけである。
(3段落略)
 語学の勉強につきまとう、いわゆる「困難さ」を克服するに当たっても、まったく同様の論理が成立することは、だれにでもわかっていただけよう。
(pp.199-201)

せっかくの3連休でもあるし、何か普段できないようなことに集中的に取り組んでみてはどうだろうか。

ところで、上の本は絶版になって久しいが、非常にもったいないことだと思う。紹介されている教材や機材や古くなっているとしても、学習のノウハウは現在の私の目から見ても非常に優れたものだ。若くして類い希な実力に達した著者ならでは、だと思う。

ネットの書き込みを見てみると、種田氏の実力を疑う向きもあるようである。かく言う私も氏の実力を直接見聞したことがあるわけではない。が、それでも同書に書かれていることは真実だろうと考えている。

ちなみに氏は『English Journal』初代編集長であったが、氏に関して発行元であるアルクの社長が

創刊号の編集長は、実業之日本社から「20ヶ国語ぺらぺら」というベストセラー本を出した語学の天才、種田輝豊でした。彼は国際会議の公用語を一人でチェックできるというスーパーマンでした。ぼくはいまだに彼をしのぐ語学の天才に出会ったことがありません。

と書いている(出典はここ)ことは、この機会に紹介しておきたいと思う。
posted by 物好鬼 at 16:03| Comment(1) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月26日

再現できる部分だけが実力

『基礎と演習 英作文』を本格的にやり始めて3日目。まだ分量的には少ないが、「これならいけそうだ」という実感が涌きつつある。こういうメンタルな部分は極めて大切である。


さて、私もこれまでにたくさんの本を読んできた。これは英語に限らず、法律、コンピュータ、数学、論理学、人工知能、教育学、哲学、言語学、政治学などなどなど。しかし、その中で「ものにした」と言えるものはどれだけあっただろうか。読んで楽しみ、中身を理解したものは多い。それはそれで有意義なことではあるが、それだけでは実力と呼べないのもまた事実である。

では、どんな状態になったら実力と呼べるのか?

それは「再現できるようになったら」である。もちろん、「スラスラと、よどみなく、ハッキリと、正確に」(『E判定からの限界突破勉強法』p.148)である。

英文であれば、和訳などのトリガーが与えられた瞬間に、その英文を口に出せることが必要である。各英文は、カラダ(音声面)・アタマ(文法面)・ココロ(内容面)の3つを、まさに三位一体のものとして身に付けていなくてはならない。その段階まで達していない場合、読み書きには役立つにしても、本当の実力とは言えないであろう。

ちなみに、数学や物理などの問題であれば、模範解答レベルの答案を自力で書けることが目標となる。別解があればそれも含めてである。

(ただし、学者になりたい場合はその先を目指さなくてはならないから、模倣だけに終わらないよう工夫する必要がある。そのためには、模範解答がない問題に積極的に取り組んだり、既存の模範解答を凌駕する解答を目指したりすることが役立つはずである。
私自身、過去に学んできたいくつかの分野を見て思うことがある。それは、本当に実力のある人間というのは、カリキュラムに守られた(学校教育的な?)学びの中からよりも、もっとワイルドな取り組みの中から生まれてくることのほうが多いのではないか、ということである。法科大学院の現状などを見ると、「やはり」と思ってしまう。)


さて、私にとっての当面の課題は『基礎と演習 英作文』の完全攻略である。そのためにいくつかの工夫をしている。

まず、教材への加工。具体的には、
 ・例文にマーカーで色を付ける(反復学習の効率アップ)
 ・しおりに名刺大のカードを付ける(例文を隠すのに用いる)
など。

次に、進捗管理。まず、

目次の階層 課題ごとの開始日
§ Examples
解説
例 題 EXER
To Mem
まとめ
実力問題
序論 1 基本5文型 12/24      
2 意味の上での文の種類 12/25    










A 基本時制 3 現在−(1) 12/25      
4 現在−(2) 12/25    
5 過去 12/25    
6 未来−(1) 12/25    
7 未来−(2) 12/25    
B 完了時制 8 現在完了−(1) 12/26      
9 現在完了−(2) 12/26    
10 過去完了−(1) 12/26    
11 過去完了−(2) 12/26    
C 進行形・
  命令形・
  受動態
12 進行形−(1)        
13 進行形−(2)      
14 命令形−(1)      
15 命令形−(2)      
16 受動態−(1)      
17 受動態−(2)      
D 助動詞
  do,
be,
  have
18 助動詞 do        
19 助動詞 be (be to 〜)      
20 助動詞 have [has]      
E 助動詞
  may etc.
21 助動詞 may        
22 助動詞 can      
23 助動詞 must etc.      
F 助動詞
  should etc.
24 助動詞 should−(1)        
25 助動詞 should−(2)      
26 助動詞 would      
27 助動詞 might etc.      
G 時制の一致と
  話法の転換
28 時制の一致        
29 話法の転換−(1)      
30 話法の転換−(2)      
31 時制の一致における例外      
H 不定詞 32 不定詞の名.と原.不.        
33 不定詞の形.      
34 不定詞の副.      
35 独立不定詞      
I 動名詞 36 動名詞−(1)        
37 動名詞−(2)      
38 動名詞構文      
J 分詞 39 分詞        
40 分詞構文      
41 分詞構文に関する注意      
K 仮定法 42 仮定法        
43 仮定法の特殊用法      
第2章 名詞 44 物質名詞        
45 抽象名詞      
46 名詞の数・性・格        
47 所有格の用法−(1)      
48 所有格の用法−(2)      
第3章 代名詞 49 人称代名詞 we etc.        
50 人称代名詞itの特殊用法      
51 不定代名詞 one        
52 不定代名詞 other(s) etc      
53 不定代名詞 some [any] etc.      
第4章 冠詞 54 定冠詞−(1)        
55 定冠詞−(2)      
56 不定冠詞      
第5章 形容詞 57 形容詞の位置        
58 比較−(1)      
59 比較−(2)      
60 比較−(3)      
61 数詞      
第6章 副詞 62 副詞の位置        
第7章 疑問詞 63 疑問詞−(1)        
64 疑問詞−(2)      
第8章 接続詞 65 等位接続詞        
66 従位接続詞−(1)      
67 従位接続詞−(2)      
68 従位接続詞−(3)      
69 従位接続詞−(2)      
70 相関接続詞      
第9章 関係詞 71 関係詞の制限用法        
72 関係詞の継続用法      
73 特殊な関係代名詞      








第1章 動詞の型 74 他動詞の型−(1)        
75 他動詞の型−(2)      
76 他動詞の型−(3)      
77 自動詞の型      
第2章 熟語 78 動詞と前.・副.との..        
79 常に特定の前.を伴う動詞      
80 その他の動詞句      
81 副詞句−(1)        
82 副詞句−(2)      
83 前置詞句−(1)        
84 前置詞句−(2)      
第3章 慣用表現 85 慣用表現−(1)        
86 慣用表現−(2)      
87 慣用表現−(3)      
88 慣用表現−(4)      









第1章 天候・自然に関する表現        
第2章 健康・病気        
第3章 運動・スポーツ        
第4章 趣味・娯楽・読書        
第5章 天災・事故        
第6章 科学・公害・産業        
第7章 交通機関        
第8章 言語・外国語        
第9章 日常生活        
第10章 雑題        

のような表を作成している。

ただしこれは各部分の学習開始日を記すだけのものであり、個々の習熟度などは教材内部で管理している。具体的には、
 ・適当なまとまりごとに赤色で○印を付け、習熟度に応じて塗りつぶす
 ・例文群につき、音読や再現に要するタイムを書き込む
などである。

あとは日がな一日反復実行あるのみである。

posted by 物好鬼 at 11:36| Comment(2) | TrackBack(1) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

『E判定からの○○○勉強法』2冊

大学受験向けの本ではあるが、分野を問わず参考になるので紹介したい。その名も『E判定からの大逆転勉強法』『E判定からの限界突破勉強法』である。

前者については刊行当初(去年夏)に本屋で見て知っていたが、今回後者を見てよさそうだと思ったので、2冊まとめて購入した。ちなみに、それぞれ「南極流」「黒流」という流儀名が付いている

肝心の内容だが、基礎的なことを徹底的に反復して記憶するという点では、小谷一『スーパー受験術』(大陸書房、絶版)のスイッチフルバック法や、濱野成秋『ユダヤ人に学ぶ速学術』のQ&A方式に似ている。また、澤田宏重『早稲田慶応を一回で合格する法』『合格を掴む!90分勉強法』(KKロングセラーズ、ともに絶版)とも共通点が多い。

一方、科目別の詳細が掲載されているなど、受験向けの学習法としては更に徹底したものになっている。にもかかわらず、単に暗記ばかりを勧めているわけではない点にも好感が持てる。

下記リンク先で中身(もちろん一部だが)の閲覧ができるので、興味のある方はお試しのほど。

posted by 物好鬼 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月23日

例文学習にもノート作成が有効

『英語のかけ込み寺』三部作を攻略すべく学習をスタートしたものの、ここ数日は非常に忙しく、あまりはかどっていない。それでも何とか実績をと考えているのだが、その中で実感したのが、反復の便宜という問題である。

この3冊組の教材は非常に優れているし、一つひとつの例文に詳しい解説があるのは非常に助かる。しかし、理解済みの例文を反復学習するには、少しかさばるのだ。もし1520文だけを収録した冊子があったら、仮に3000円したとしても購入すると思う。例文は何度も反復して覚え込まなくては意味がないからだ。

しかし、実際にはない。となれば、自分で作るしかないし、作ればよい。先に「自分本位のノートを作れ」というのを書いたことがあるが、例文についてもそれを実践するのである。

というわけで、早速WORD文書で作ってみた。拙著のフォーマットを少し変更し、和文と英文とを並べて表示するかたちにしてある。簡単なチェック欄も付けた。全体の分量だが、1520文でも(改ページのしかたによるが)100〜200ページに収まるはずだ。

入力はまだ最初の部分しかしていないが、これから毎日追加していく予定である。今年中には全部完了するであろう。

ただ、著作権の問題があるので、完成しても頒布することはできない。それに、こういったものは各自で入力することに意味があるのだから、完成品を頒布する必要などそもそもない。大切なのはむしろノウハウとテンプレ(WORD文書)であろう。頃合いを見計らって、WORDファイルをダウンロードできるようにしたいと考えている。

posted by 物好鬼 at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

体系書攻略法1−目次

今回から数回にわたって、体系書攻略法について述べたいと思う。

体系書の特徴は何かと言われれば、それは「内容構成が体系的である」ことである。当たり前のことであるが、忘れられがちなのも事実である。

さて、体系書を読むときに大切なのは「タテに読む」ということである。つまり、その本のタイトルから始まって、全体構造を把握し、更に細かい構造へと進んでいくのである。通常のようにテキストの最初のページから精読した場合、このような立体的な読みになることは滅多にない。よほど意識的に取り組まないかぎりは。

全体構造を端的に示しているのは、その本の目次である。『アルファ英文法』の場合は、
第1章 文・文型
第2章 名詞
第3章 冠詞
第4章 代名詞
第5章 形容詞
第6章 副詞
第7章 比較
第8章 動詞
第9章 時制
第10章 完了・進行
第11章 法助動詞
第12章 不定詞
第13章 分詞
第14章 動名詞
第15章 仮定法
第16章 態
第17章 接続詞
第18章 関係代名詞・関係副詞
第19章 前置詞
第20章 一致
第21章 話法
第22章 否定
第23章 特殊構文
補遺:句読法
となっているのだが、これを見て素直に納得しているようではダメである。というのは、この目次は、レベルの違うものが平板化されて並べられてしまっているからである。

ではどうするのか、というと、例えば、
文の全体構造 第1章 文・文型 第1節 文を構成する基本単位
第2節 文の要素
第3節 文型
第4節 句と節
第5節 文の種類





名詞と代名詞 第2章 名詞 (以下入力割愛)
第3章 冠詞
第4章 代名詞
形容詞と副詞 第5章 形容詞
第6章 副詞
第7章 比較



動詞句 動詞 動詞そのもの 第8章 動詞
時制と相 第9章 時制
第10章 完了・進行
助動詞 第11章 法助動詞
準動詞
=句を作る(1)
第12章 不定詞
第13章 分詞
第14章 動名詞
第15章 仮定法
第16章 態


節を作る 第17章 接続詞
第18章 関係代名詞・関係副詞
句を作る(2) 第19章 前置詞
その他 第20章 一致
第21章 話法
第22章 否定
第23章 特殊構文
付録 補遺:句読法
のようにする。ここまで行ってはじめて、章立てが理解できたと言えるのである。

次は、これを踏まえ、教材に手を入れていくこととする。

posted by 物好鬼 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする