「望まれる、片寄りのしない勉強方法−−これは結局、読解力と作文力の間の実力の差ができるだけ小さくなるような方法で勉強することである。
読解力の養成は、読み・書き・話・聞きの四つの中でも、もっとも進歩が速い。作文力は、書きと話の母体である。作文力がないのに会話ばかり練習していると、何年たってもブロークンしか話せないのもあたりまえのことである。というのは、作文力こそ、正確な文法的知識に立脚するものだからである。」(p.161)
「作文力を基盤にもたない解釈力は、あぶなっかしい解読力であり、読解力ではありえない」(p.166)
私もそのとおりだと思う。その意味で私は英語の(というより外国語の)4技能化には賛成だ。ただし、大規模な試験の場合には実施可能性如何という問題があるから、拙速を避けて充分な準備をすべきであるとも考えている。犠牲になるのはいつも当事者(特に受験生)だからだ。
(ただし公教育の一部であるからには、実技面にばかり注目するのではなく、文法や語源や発音などについての知的関心という側面も含めて指導されるべきだろうとも思う。また、実技面に関しても文法的な理解がどこまで正確であるかといったことは4技能試験だけでは確認しづらいだろうから、そのような部分については記述式の導入が検討されてもよいはずだ。)
ところで、学習と試験の双方において、同様のことが他の科目についても言える。例えば数学で考えてみよう。
数学の試験にもマークシート方式と記述式の双方があるが、記述式の短所は英語のスピーキング・ライティングの場合と同様、採点基準と手間だろう。それゆえに、センター試験がマークシート方式であることは現状では肯定されるべきだと考える。
その一方で、長所についても類似性がある。数学の記述式問題に的確に解答するには正確な知識と理解(そしてある種の熟練)が要求されるからだ。その意味からは、数学が苦手な人ほど記述式対策が有用だとすら言える。もちろん基礎的な部分を中心に、正確な説明ができるように学ぶわけだ。
しかるに現実はというと、数学を苦手としている人ほど記述式よりマークシート方式の試験を望むだろうし、できれば数学が必須でない大学を受けたいと考えるだろう。このようにして数学への丁寧な取り組みから逃げてしまうと、ずっと苦手なままになってしまう可能性が高い。
もちろんこれは理科でも社会でも同様だ。音楽や体育や家庭科などが入試にあれば、実技試験について同様のことが言えるだろう。
それゆえ、学びに消極的になりすぎないように警戒すべきなのだが、その一方で、中高生に与えられた時間に限りがあることも事実だ。特に授業時間はそうだろう。勉強以外にもやるべきことはたくさんある。だから各人が科目間のバランスを考えて目標を設定する必要があると言える。基礎的な部分は皆が共有すべきだとしても、「全員が高度な英語力を」でもなければ「全員が高度な数学力を」でもない。そこから先は各人の自己責任ということになろう。
しかし、このあたりのバランス感覚はなかなか難しいのではないか。能力や熱意や置かれた環境に個人差があるということもあるが、指導者の多くは入試を通り抜けてから長期間を経ている関係で「入試のために多数の科目を学習する」ということの大変さがピンとこないということもある。その意味からは、大人たちもときには模試や入試に参加してみるのがよいのではないかと私は考えている。
(ここで「先ずは隗より始めよ」と入力しようとしたところ、「まず破壊より始めよ」と変換された。たしかに似たようなものかもしれないが、このあたりで終わりにしたい。)