英語教育の前倒しにプログラミングの必修化だそうだ。何でも早く始めればよいというものではあるまい。特にその方法が気になるところだ。
そもそも「知識を使いこなし、試行錯誤しながら課題を解決する力を学校教育で養う必要がある」と言うのであれば、まずは既存の科目(特に国語と算数か)を充実させるのが筋だろう。一応「読解力を育成するため小中の国語で語彙(ごい)指導などを拡充」とは書かれているが、英語やプログラミングを追加すれば必然的に既存の科目にもしわ寄せが来るだろう。これでは何だか、教材を取っ替え引っ替えして浅い学びに終始する一部の受験生みたいだ。その意味で今回の文科省の方針は、彼らが掲げる目的と矛盾しているようにすら私には思える。
もしプログラミングの学習が知的能力の向上に役立つと本当に考えているのであれば、まずは文科省のお偉いさん方自身が率先して学んではどうか? そういう経験なしに子供たちにだけ押し付けるようでは、日本の教育はなかなかよくならないだろう。
ところで、このプログラミングというものは、すべての子供たちが一律に学ぶ必要があるような分野ではないと私は考えている。文科省としてはかつての「読み書き算盤」のような効用を狙っているのかもしれないが、そうであればなおのこと、プログラミングそのものを急いでやらせる必要はない。むしろ、既存科目である国語や算数が活かせるのであれば、できるだけ活かした方がよい。大切なのは、プログラミングにしろ何にしろ、後からやりたくなったときにスムーズに学べるように、知的な基礎体力を身に付けさせることであるはずだ。
言うまでもなく、知識にも技能にも階層構造がある。だから、それを無視して「いろいろやらせればいろいろできるようになる」的にやらせるのでは、先生方が大変なのは(記事にも書かれているように)もちろんのこと、子供たちはもっと大変だ。特に子供たちに対しては、知識の詰め込みを否定しながらさらなる詰め込みをしようとしているとも言える。これらは英語についても言える(特に国語との連繋はもっと重視される必要がある)。
さて、記事を見ると「全教科で『主体的・対話的で深い学び』の視点による授業改善を図る」とも書かれている。要するにアクティブ・ラーニングを導入すると言っているわけだが、そこで大切なのは
<対象←→認識(具体←→抽象)←→表現>
という過程的構造を踏まえることだろうと私は考えている。そういったポイントを見逃すと、お題目とは裏腹に表面的な学びに終わる可能性が高いと思うのだ。
ではどうするか? あくまでも試案だが、小学生に対してはたとえば
・身近な素材をもとにして算数の文章題を作成する
・その内容を書面や口頭で解説(可能なら議論も)する
といったことを丁寧にやらせてはどうか。この方が、安易に英語やプログラミングを早期導入するよりも、よほど多面的な基礎力養成に資するのではないか。
ところで、プログラミングについては、私はちょうど30年前に勉強を始めた。それはとても順調に進んだのだが、その原因は
@高校までの数学をしっかりやっていた
A解決したい具体的課題があった(それも易しいものから段階的に進めることができた)
の2点だったと現在では認識している。それらのおかげでプログラミングに必要なアタマの使い方が身についたのだと思う。
※このあたりについては「思考と言語」を参照されたい。
こういう「アタマの使い方」というのは個別のプログラミング言語の知識よりも普遍性が高く、賞味期限も長い(それでもオブジェクト指向は追加で学ぶ必要があったが)。そして、その「アタマの使い方」の基礎づくりになるものを小学生にやらせるとしたら、先に挙げた試案のように国語や算数を利用した方法をとるのがよいのではないかというのが、冒頭のリンク先記事を読んで私が考えたことだ。
以上、food for thought として書いてみた。
追記:あくまでも「プログラミング教育必修」であって「プログラミング必修」とは意味が異なる、ということらしい。詳しくは文科省サイトの「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」を参照されたい。