9=72
8=56
7=42
6=30
5=20
3=??
というナゾナゾ(?)を扱ったページだ。
(言うまでもないことだが、この「=」の使い方は正しくない。「9=72」ではなく「f(9)=72」などと書くべきところだ。こういうことは日常生活でも疎かにしないことが大事だと思う。)
さて、素直にこの問題に取り組んだ場合、数列(高校数学で出てくるやつ)的な発想に慣れている人ならほとんど瞬時に f(n) = n(n-1) という式に気付くだろう(私もそうだった)。
ところがだ。実はこの問題、上の5つを元にして6つ目の右辺を確定することはそもそも不可能だ。仮に「左辺から右辺を導く関数は4次以下の代数的な式(つまり f(n)=an4+bn3+cn2+dn+e の形)である」といった条件が付いていればその式は f(n)=n2-n=n(n-1) となり、「??」は 6 と定まる。しかし、そういう条件がなければ正解も無限に存在することになる。
つまり、「??」の部分は 9 でも 12 でも 158.32 でも 3.14159265... でも間違っているとは言えないのだ。それどころか、それぞれの答に対応した式を(それも無限にたくさん)立てることすら可能だ。もっとも、あくまでも可能なだけであって、任意の形式を持った6つの式から成る連立方程式を実際に解くなどという面倒なことは、私はやりたくない(笑)。
さて、f(n) = n(n-1) という式に気付いてしまった人は「あっ、これが答だ。簡単じゃん!」と思ってしまい、他の考え方が存在しうることに気付かない可能性も少なからずある。そうなってしまった場合、その人はそれほど論理的とは言えないだろう。
一方、6 以外を答とした人に対しては、「左辺から右辺を導く関数はどんな式になりますか?」と問いただすことができる。もしその問いに答えられないのであれば、その人は論理的に考えたとはとても言い難い。(さりとて、それは「感覚的」というのと同義なのか?という疑問は残るが。)
というわけで、
@f(n) = n(n-1) という関係に気付く
A私が中盤に書いたような事情にも配慮できる
の双方を満たすのが、単に 6 とか 9 などと答えるよりはるかに論理的なのではないかと思う。
(そして、自らの不勉強を顧みずにこんな記事を書いてしまう私は「論理的でありたいと強く願う人」なのだとも思う。)
蛇足だが、この記事を Facebook に投稿したところ、アメリカ人の Facebook 友達から
9=72
9−9=72−9
0=63
0/63=63/63
0=1
0・(y−x)=1・(y−x)
0=y−x
0+x=y−x+x
x=y
というコメントがあった。どう答えようかと思ったが、少し考えたうえで
9=72
9−9=72−9
0=63≠1
0≠1
0・(y−x)≠1・(y−x)
(1−0)(y−x)≠0
1・(y−x)≠0
y−x≠0
x≠y
と返しておいた。
(わかる人にはわかると思うが、偽命題を前提にすればどんな命題も導き出せるという論理を利用している。)