脳科学者さん曰く、
大まかには、プログラミング言語は人間の言語(自然言語)の認知方法を基に作られています。だからIT系の人はそれほど抵抗をもたずに、語学の学習ができると考えられます。との由。せっかくなので私なりにツッコミを入れておきたい。
「ユニバーサルグラマー(普遍文法)」という概念があって、日本語、英語、どの言語であっても、言葉による認知の方法は、大きく違わないといわれています。たとえば「話す」とか「取る」といった基本的な動作を表す動詞や、身近な物を指示する名詞は、どの言語にもありますよね。それらを概念化して認知し、単語を組み合わせて文章を構築するという基本的な流れは、どの言語でも違わないだろうという考え方です。プログラミング言語も同様です。
まず、「『話す』とか『取る』といった基本的な動作を表す動詞や、身近な物を指示する名詞は、どの言語にもあります」という部分だが、これは人間が生活している現実世界に基礎を持つものであって、普遍文法を云々するまでもない問題だ。人間は対象から得た像をもとにさまざまな認識を創りだすのだから、自然言語の語彙や構造を扱うときにはその点を無視してはうまくいかないのだ。
それから、「プログラミング言語は人間の言語(自然言語)の認知方法を基に作られています」という部分。自然言語にもプログラミング言語にも人間が扱う「言語」としての共通点は多々あるし「習得に共通の基盤があると考えるのが自然だろう」もある程度までは正しいとは思う。
しかし、日本人が特に苦手としていると言われるスピーキングがプログラミング言語には存在していない点は特に注意が必要だ。また、プログラミング言語の内部にもアセンブラから手続型、関数型などさまざまな種類があり、自然言語との距離にもかなり大きな幅があるということも忘れてはならない。この脳科学者さんはこういった事情をまったく認識していないと見える(東大工学部出身らしいのだが)。
次に、終わりの方(現在は登録しないと読めなくなっている)にある「失敗しても心の痛みを感じにくい環境を工夫して作り、積極的に話せる機会を持つことが最善の方法だと思います」という部分。積極的に話すことは大事ではあるが、この点ばかりに注目するのは正しくあるまい。球技におけるドリブル練習や壁打ちテニスなどと同様、文法ドリルや独り言といった一人練習も大いに役立つのだ。むしろ、試合や乱捕りばかりでは高いレベルには到達しづらいということは上達論の世界では何十年も前から指摘されていることであり、すでに常識でなくてはならないことだ。
それに、一人練習にはもう一つの利点がある。それは「人に見られなければ恥をかく心配もない」ということだ。指導者によるフィードバックはもちろん大切ではあるが、語学については文法などの助けが借りられる強みがある。また、語学にしろ他の分野にしろ「ある程度できるようになると、人前でやってみせたくなることが多い」ということも言える。
そもそもだが、セロトニントランスポーターの有無が学習に対してそれほど大きな意味を持つのであれば、多くの日本人は英語以外にもいろいろなこと(特に人前でやるようなこと)を苦手にしていそうなものだが、実際はどうなのだろうか。そのあたりを含めて「風が吹けば桶屋が儲かる」的という印象を受けたし、「専門家とは何?」とも思わされた。脳科学は英語で no science と言うに違いない!などと言ったら真面目な専門家に叱られるかもしれないが、専門家同士での相互批判がもっと必要なのではないかとは思う。