「大学入試の英語は偏っている」「TOEIC の英語は偏っている」と言う人がいたら、「それはタイム誌の英語でも医療英語でも観光英語でも同じでしょ?」と言い返せば足りる。どうせ全部をやっている人などいない。試験対策の是非は自身が掲げる目的との関係次第であり、方法単独での批判は難しい。
というわけで、偏りは本質的に不可避だ。とはいえ、基礎的な部分(だいたい高校レベルまでの範囲)については万遍なく学んでおいた方がよいと思う。もちろんこれも各自の目的次第ではあるのだが、基礎的な部分に穴があると持ちうる目的も自ずと狭まってしまう。それが基礎の基礎たる所以というものだ。
蛇足ながら、「偏り」も多義的である点には注意が必要だろう。私がここで書いているのは「全面的ではない」ということであり、英語のように巨大な対象を扱うときには不可避なものだ。しかし、このことと「英検を受けるのに難単語の勉強ばかりしている」といった種類の「偏り」とは区別する必要がある。
これらはどちらも「基準に対するズレ」として理解可能ではある。しかし、英語全体に対するズレは不可避であっても、限定された目的に対するズレは比較的避けやすい、という大きな違いがある。そしてこの「限定された目的」には、特定の試験に合格することや特定分野の素材に習熟することも含まれうる。
(いずれも140字)