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2015年04月23日

英語教育はヨリ大きな枠組みの中で考えるべし

これは英語教育に限らないが、学校における教科教育は「(公)教育とは」「学問とは」「いわゆる実学・虚学とは」などを踏まえる必要があり、公教育全体は「社会とは」「人間とは」「国家とは」などを踏まえて考える必要があるはずだ。なのに、昨今の英語教育に関する議論では、こういう大きな観点に触れる人はあまりいないように思う。私が知らないだけかもしれないが。

英語において実用性を重視することは(数学と同様の意味で)許容されるし、必要ですらあると私も思う。しかし、注意すべき点が少なくとも2つある。

その1は、英語教育改革は他の科目に皺寄せがいかない範囲で行うべきだということ。「身に付いていない生徒が少なくない」という問題は、他の全ての科目について言えることだからだ。その点、英語教師はどうしても英語の重要性を強調しすぎる傾向がある。端的には「国語も数学もやれ!」と言いたい。これは大人になった英語教師も例外ではない。

※国語や数学といった科目をどのくらいやるべきかだが、センター試験で平均点程度にすら達しないのでは話にならないだろう。英語教師は一般人よりも英語が得意だろうが、その英語力を身に付けるために他の科目を犠牲にしすぎているとしたら、それは高校生たちにとって適切なロールモデルとは言えまい。その意味で、センター平均点というのは一つの目安になるだろう。もちろん、これは他の科目についても同様だ。

その2は、英語が持つ自然言語としての特殊性を考慮すべきだということ。これは、母語というものが精神活動と不可分一体であること(これは数学などにはない側面である)からくるものだ。もちろん英語は大半の日本人にとっては外国語だが、英語を母語とする人は世界中にたくさんいるのだから、「英語はコミュニケーションの道具だから通じればよいのだ」ではなく、通じることを最低ラインとしたうえで、感情や論理にも可能な限り配慮した指導をすることが大切になってくるはずだ。

※これは数日前に立ち読みした本に書いてあったのだが、エリート層においては、発音は少しくらいおかしくても問題とされないが、文法を間違えると教養を疑われるとのこと。もちろん、カジュアルな会話はその限りではない。

以上、自分の英語力を棚に上げて、書きたいことを書いてみた。

posted by 物好鬼 at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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