ここ最近のツイート(いずれも140字ちょうど)の中に「基本や形(かた)の重要性」に関するものがいくつかあったので、新しいものから順に並べてみたい。特に整理されたものではないが、何らかの food for thought になればと思う。
発音をよくしたいのは、半分は他人(聞き手)のため、残り半分は自分のため。私みたいな性格だと、「自分のため」に力点を置いた方がうまくいく気がする。「自己満足」とも言うが、他人迷惑ではない以上、遠慮する必要はあるまい。僻むような手合いは遠慮なく放置。文法も同じだ。残るはボキャビルか。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/585256364462608384
上達のための最大のカギは、自分の弱点を明確にして克服することだ。仮に文法が弱い人であれば、文法を学ぶことで飛躍しうるだろう。しかし、たとえ自分がそうであっても、文法が他の人にも特効薬として機能するとは言えない。弱点には個人差があるからだ。それを無視して安易に一般化すると失敗する。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/585012415173042176
This is a pen. という例文について「こんなの実際には使わない」と言ってる人たちは、小学校の算数の教科書に 2+3=5 とあっても「実際の足し算はもっといろんな組み合わせで行われるのだ」と文句を言うのだろうか。例は例なのだ。それを踏まえて各自が自分用に改造すればよい。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/584638854721708033
スラッシュに限らず構造解析系の作業というのは、@結果より方法を知ること、A自力でたくさんやること、B正確さを維持しつつスピードアップすること(同時に書く量は減ってくる)に注意することが大切だろう。その結果として書く必要性がなくなるのだ。数学の式変形などにも同じことが言えると思う。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/584574379842867200
世の中には異様なほど頭の回転が速い人がいるが、中身の正しさは別の問題。長期的観点からは、少しくらい時間がかかっても的確な判断を下せるほうがよい。スピードは後からつければ足りる。これは言うほど簡単ではないが、スピードに慣れたあとで緻密さを高めるのは、多くの人が想像するよりも大変だ。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/583408321299816449
ディクテーションは時間がかかるが、相応の意義がある。書き出すことで一つひとつの文字・音と向き合うことができるからだ。これと同じことが英文和訳についても言える。助動詞の意味などは特にそうだが、母語で実際に書いてみることでニュアンスと向き合うことができる。内容面のディクテーションだ。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/580865875324080128
「中高で6年やっても話せるようにならない」から「中高の英語は役に立たない」と帰結するのは短絡的だ。「中高の英語すらできていない」という可能性を忘れているからだ。実際のところ、まともなやりとりには中学英語の全体と高校英語の大半が必要だろう。ただ、それらをどう学ぶかはまた別の問題だ。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/580394566752157696
かつてコンビニ店員などが「マニュアル人間」と呼ばれ揶揄された。これは本来なら「あらかじめ決められたことすら高々表面的にしか習得していない」と考えるべきところなのに、「決められたことをする=悪」と考える人もいた。知識を軽視する現在の風潮も同じだ。「守破離」の智恵はどこに行ったのか。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/578331286944677889
私は「知識も思考力も」という考えだ。もし答えを自力で見出す努力を避けて他人の手になる答えに頼るような学び方ばかりしていたらどうなるか? その意味で、知識の集積を一時的に制限して思考力の訓練に集中する時期はあってよい。だが、最終的には膨大な知識を習得しないと文化遺産は継承できない。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/577436690060472321
野球の練習は、ウェアに着替え、道具を持ってグラウンドに出て体をほぐすだけでなく、お手本を理解して真似るところまでが準備だろう。そこから後が練習だ。語学なら、辞書を引くのはもちろん、テキストの内容や音声などを押さえるまでが準備となる。だから、そこでやめたらほとんど何も残らないのだ。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/577244841555292160
書店に行って学参をパラパラめくることが多いのだが、非常にわかりやすく書かれたものがたくさんある。こういうのを一通り買い揃えて本棚にさりげなく並べておくだけでも、そこそこの教育的効果があるのではないか。もちろん勉強以外でも同じだ。人間だけでなく、書物の交際範囲もとても大切だと思う。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/576245467111038977
「英語がうまくならないのはネイティブが使うような本物の言い回しを知らないからだ」というのは、「武道がうまくならないのは達人の師匠から秘伝の技を習ってないからだ」というのに似ている。そして多くの英語学習者が「秘伝の技」を求める。しかし、両者の本当の共通点は、基本訓練の重要性だろう。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/570183042553094145
形式より内容が大事とよく言われるが、内容が大切であればこそ、その内容に見合った形式を与えることも大切であるはずだ。それがまた内容への更なる切込みを可能にしたりもする。武道にしても数学にしてもそうやって発展してきた面があると思う。語学なら、内容に逃げず、文法・発音なども学ぶべきだ。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/568943233545342976
知識については、@どんな知識を持っているか、A持っている知識をどれだけ使えるか、B持ってない知識をどうやって獲得するか、の3点を考慮する必要があろう。出題範囲が決まっている試験ではBの評価は難しいが、学者になりたい人は注意すべきだ。一方、大半の受験生は@とAの差がわかれば足りる。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/568213805706014720
英語学習中なのに文法書を読んでないとおぼしき人が少なくない。どうせ文法と無縁ではいられないのだし、学ぶのであれば手元に本があった方が便利だ。あと、「文法や文法用語が使えるのはカッコイイ」と思えることも結構大事だと思う。必要性には個人差があるとしても、少なくともポジティブでいたい。
https://twitter.com/George_Ohashi/status/566014405830115329