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2015年03月05日

掛け算の順序問題について

あくまでも思いつきの私見ではあるが、忘れないうちに記しておきたい。

参考:Wikipedia 記事 。足し算についても同様の議論があるので、ここではまとめて論じる。


まず基本的な事実として、掛け算にしろ足し算にしろ、具体的なあり方としてはさまざまなタイプのものがあり、中には2つのオペランド(演算の対象となる値や変数、「被演算子」)の順序ないし役割を区別すべき場合もある。そのこと自体は別に間違ってはいない。

しかし、2つのオペランドのどちらを先に置いても演算結果が同じになるということも事実であり、それゆえに「×」や「+」は可換な演算子(オペコード)として定義ないし理解されている。(「そのように定義されてはいない」という立場でも交換法則は認めるであろうし、「×」「+」という記号自体に順序を指示する部分がないことも否定はできないであろう。)

つまり、「×」「+」という演算子の機能は、オペランドの順序や役割の違いを捨象したものなのである。ゆえに、演算子について指導する際にそのような特殊性を強制的に含めてしまう(特殊性を一般性として扱う)ことは矛盾であり、論理的な指導とは言い難いであろう。

もちろん、冒頭にも書いたように、オペランドの順序ないし役割の区別を理解させたい場合はあるであろうし、そのこと自体に問題はない。しかし、そのような場合には、「×」「+」という演算子を使わずに自然言語で説明させるべきであろうし、それで足りるであろう。なお、この目的のために新たな演算子を導入することも不可能ではないが、小学生に対する教育内容としては適切とは言えまい。
(小学校の算数には「国語から数学への橋渡し」という特殊な役割があるのではないかと私は思う。特に低学年の場合、数学的抽象は理解が難しいであろうからだ。そうであるならば、掛け算の順序問題について考えるときも「橋渡し」への配慮が必要だろう。しかるに、もしその二面性を無視したらどうなるか。国語的側面ばかりをとりあげると「掛け算の順序は大事」という主張につながり、数学的側面ばかりをとりあげると逆の主張につながるだろう。実際にはそのバランスポイントは、子供の学習段階(同じ分野でも個人差があってその時期・年齢は固定的ではないし、分野によってもバラツキがあろう)に応じて徐々に数学側へと移していくべきものだろうと思う。'17/08/05 追記、08/13 少し修正)

ここで、記事中に「乗数を右に書くと、四則演算のすべてが 操作される数、操作する数 の順に統一でき合理的である」とある点に一言しておきたい。このようにすれば確かに「統一」はできる。しかしそれは、"足し算や掛け算のように交換法則が成り立つもの" と "引き算や割り算のように交換法則が成り立たないもの" との間にある違いを捨象してしまう点に問題がある。そもそも算数・数学の教育としては、生徒たちにその「違い」をも認識させる必要性があるはずである。もちろん小学生にいきなり理解させるのは難しいであろうが、その方向で教育を進める必要性はあろう。となれば、"四則演算全部の共通性" ばかりを強調しすぎず、"交換法則の有無による特殊性" をも取り上げるのが必須かつ妥当な方法と言えるであろう。

ここまでが、この問題に対する私の現時点での考えである。
 

リンク先の記事を読んで思うのは、賛成・反対どちらの主張も一面的なのではないかということだ。私もこれまでに政治や学問も含めたさまざまな問題について考えてきたが、その経験から「意見が2つの陣営に大きく分かれて対立しているテーマの場合、たいていはどちらの陣営にも見落としている側面ないし事実がある」と考えるようになっているのだが、それはこの「掛け算の順序問題」にも当てはまるように私には思われる。

端的に言うと、賛成論は「×」「+」という演算子が持つ「オペランドの順序・役割による違いを捨象する」という性質を無視して(つまり、特殊性にすぎないはずの「違い」にこだわって)おり、反対論は掛け算や足し算における具体的なあり方にさまざまなタイプのものがある(オペランドの順序・役割による違いを理解することも大切である)という点を無視している。もちろんこれらは両極端であり、実際には中間的な主張もいろいろあるであろう。それに対する私の考えは上に述べたとおりであり、演算子と自然言語とを併用することによって問題解決を図ろうとするものである。
 

以下、まったくの蛇足ではあるが、これと似たことが<分数>についても言えるので、ついでに紹介しておきたい。問題の論理構造としては掛け算の順序問題とは異なるものであるが、これ自体がとても興味深い論点であるので、あえて本記事内でとりあげることにする。
 

まず、通常の分数においては、たとえば 1/4 + 1/3 は 7/12 に等しいとされる。では、これに対して教え子の小学生が「でも、4打数1安打と3打数1安打を足したら7打数2安打ですよ」と反論してきたらどうするか、という問題がある。これは大学生が家庭教師で小学生に教える際などに悩まされることがあると聞いたことがある。

ここで大切なのは、この子の考え方(それなりにしっかりした根拠がある)を頭ごなしに否定するのではなく、それ自体の妥当性を肯定したうえで、「算数で習う分数というのはそれとは違ったパターンの場合に使うのだ」ということを具体例を挙げて示すこと、であろう。

参考のため、その「具体例」を1つ挙げておく。

「ここに夫婦と子供2人の4人家族がいます。お父さんは毎日ケーキを買って帰ります。そのケーキはいつも同じ種類・大きさのもので、それを家族で平等に分けて食べます。ただし、誰かが出掛けていたりして家にいないときは、家にいる人だけで分け、いない人のために残すようなことはしません。
 さて、昨日は家族全員が家にいたので4人で分けました。お父さんが食べたのは 1/4 個です。ところが今日はお母さんが実家に帰ってしまったので3人で分けました。お父さんが食べたのは 1/3 個です。さて、昨日と今日の分を合わせると、お父さんはケーキを何個食べたことになるでしょうか」

この場合には 1/4 + 1/3 = 7/12 という通常の分数計算が適用できることは容易に見て取れる。ではその基礎は何なのであろうかと考えてみると、それはどうやらすべての日に共通している「ケーキ1個」が一種の単位(=1)となっている点にあるようである。

それに対し、野球の「○打数○安打」の場合にはそのような単位が存在しない。そして、通常の分数計算は使えない(上に紹介した小学生の発言どおりになる)。もちろんこのような場合に対して通常の分数とは異なる演算子を導入することも可能ではあろうが、そのことにどのくらいの利益があるか私は知らない。

以上。

posted by 物好鬼 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、雑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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