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2015年01月17日

わが卒論より「言語と〈言語規範〉」

これは24年前に提出した卒論の一部。当時の私は(現在も大差ないが)三浦つとむ・南郷継正らの認識論に全面的に依拠していたため心理学はほとんど知らなかったが、この程度の考えには到達していた。今こうやって読み直してみても、内容的には特に修正の必要性を感じない。なお、卒論では文献名は略記していたが、転載にあたって参照しやすいよう復元しておいた。それ以外は24年前のままである。

言語と〈言語規範〉

 言語とは表現の一種である。ここで表現とは、「精神のあり方を認識するための物質的な鏡」(三浦『認識と言語の理論 第一部』p.31)のことであるが、言語においてはその表現と鑑賞とは何かと言うと、それは一般的には社会的認識の一形態であり、その人の行動を規定するような、「観念的に対象化された意志」の一種である。そして、〈言語規範〉とは、言語活動(表現と鑑賞)を媒介するような規範のことである。
 さて、言語において〈単語〉と呼ばれているのは、表現者の1概念が表現されている部分=単位である。だから、いわゆる「単語を覚える」とは(これは外国語に限らず、学術用語などでもよい)、@何らかの情報を元にして概念構成をし、Aそれと語彙(単語の種類を把握した表象であって、これはこれで覚えなくてはならない)とを対応させて記憶し、更に、Bそれを元情報とは独立して使用できるようになる、という過程的構造を持った作業である。
 しかし、単語だけ覚えても不充分であることは言うまでもない。では、いわゆる「言語を習得する」とは何なのか、ということになるのであるが、これは上の議論を踏まえれば容易に予想できるように、〈言語規範の習得〉なのである。また同様に、その一部としての「単語を覚える」とは、「語彙を習得する」ということである。
 では、肝心の〈言語規範の習得〉とは何であろうか。問題は、その「習得」の意味である。
 普通、規範を「覚える」と言った場合、@法律の条文のように知識として覚える場合と、Aこういうときはこうしてしまう、というようにクセとして覚える場合との2形態があるであろう。そして、ここで問題にしている〈言語規範の習得〉とは、Aの方であり、@つまり〈文法の記憶〉は過程としてのみ認めるものである。しかし実情は……である。
 言うまでもなく、ここに誤解があるからこそ、子供だましでしかない「文法否定論」がまかり通るのである。別に文法が不要なわけでは決してなく、逆に、文法を意識しなくても文法にかなった言語活動ができるようになるまで自らを訓練する必要があるのである。そして、そのための最良の方法は、あくまでも意識的に訓練を行うことなのである。

オマケ:同じ論文の中で私は次のようも述べている。
 なおここで「外国語で考える」とは、外国語の単語の(音声)表象を原則的には文法に則った形で頭の中に並べることによって概念の運用をすること、である。

何らかの参考になれば…。

posted by 物好鬼 at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学の本質 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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