記事を読みながら、私は医学部に行かなくて正解だったと思う反面、ブログ主らが体験したような機会に無縁なままここまで来たことは大きな損失でもあったな、とも思う。
もっとも、30年前の私が医学部に入っていたらはたしてその「機会」から学べたかどうかとなると、それはかなりアヤシイ、というか、まず間違いなく無理だっただろう。その原因は、私の「頭の使い方」の傾向にある。
その傾向(偏り)は中学時代にはかなり明瞭になっていたもので、大学受験時代には「共通一次における全失点の7割が社会によるものだった」というかたちで表れていた。しかし、私がその「偏り」を非常に大きな問題点として明確に認識するようになったのは、実はごく最近になってからだ。
学校教育の範囲に限定しても頭の使い方は科目ごとに違っていて、それは中学〜高校〜大学と進むにつれて鮮明になってくる。複数の科目に同じ方法を適用することもある程度は可能だが、レベルが上がるにつれて徐々に歪みが大きくなってくる。それは英語についても同様で、英語学習法についてこの観点から見直してみると、いろいろ見えてくるものがあるはずだ。
学習者として大切なのは、遅すぎない段階でその違いを認識し、対処できるかどうか、だろう。もちろん、指導者にとっても同様だ。そして対処するのが遅れすぎると、その遅れを取り戻すのは困難になる。蛇足だが、いわゆる「十で神童…」もその一種なのではないだろうか(ただし、私の場合とは逆向きの偏りではある)。
勉強とは、ことほど左様にバランスが大切なものなのだ。そしてこれは私にとっては今年の最重要課題でもある。「五十の手習い」という言葉もあることであるし、あえて新しい挑戦をしてみたいと考えている。その詳細も含め、今年の抱負については近々このブログに書くつもりでいる。