「学校英語は英文和訳中心だから生徒は話せるようにならない」という説がある。別に間違ってはいないと思うが、ここでは少し違う観点も挙げてみたい。
前提として「英文和訳」の現状を確認しておく必要がある。これは実際には「紙の上で英文を読み、紙の上で和文を書く」というかたちをとっている。つまり、単なる「英文和訳」ではなく「紙上での英文和訳」という特殊性を持った形態なのであり、「口頭での英文和訳」は検討の対象から漏れているのだ。逆工程つまり「和文英訳」についても似た状況がある。
ところで、入試科目には英語以外にも数学、国語(現代文・古文・漢文)、理科(物理・化学・生物・地学)、社会(日本史・世界史・地理・政治経済・倫理)といったものがあるが、これらのうち(英語のリスニングを除いた)全科目に共通していることがある。それは何かというと、「紙の上で問題を読み、紙の上で考え、紙の上で解答を書く」ということだ。
この状況のもとでは、日常学習も受験対策も「紙の上で…」となることは当然のことであり、学校の勉強は紙(視覚)に頼りっぱなしとなる。もちろん、特別な必要性が生じない限り、日常生活や仕事でも同じことをしてしまう。
しかし、その結果として「紙がないと簡単なことしか処理できない」頭になってしまってはいないだろうか。ちょっと試してみればわかることだが、紙に書けばかなり複雑な計算ができる人でも、紙に書けない状況下(つまり暗算)では2ケタ同士の掛け算にすら四苦八苦してしまうはずだ。別に「複雑な計算でも暗算でできるようになるべき」と言っているのではない。「暗算に関しては、2ケタ同士の掛け算すら訓練の機会を逸している」ということが問題なのだ。つまり、ワーキングメモリの訓練について、我々はあまりにも怠けすぎなのだ。
計算の話は措くとして、言語活動においては「ソラで(=視覚に頼らず)考えた意見や耳から入ってきた情報などに対して適切な表現形式をソラで与え、それをソラで表現できる」ことが理想だろう。しかし、現状では「紙の上で考えたことをソラで表現する」ことすらなかなか難しいはずだ。
その主な原因は、そういうことに慣れるための訓練が不足していることにあると考えられる。これは私自身も例外ではない。この点については特にここ最近のディベート学習などで痛感させられているが、その一方で予備校講師や政治家などの言語能力に感心することがたびたびある。
しかし、いかに訓練が大事だと言っても、基礎力に欠ける人がむやみにディベートなどに挑戦したところで玉砕するばかりであろうから、それだけではたいした上達は望めない。しかし、ここにこそ「学習法」や「上達論」の存在意義がある。
さて、英語で話すときに必要とされるものは何かというと、「言いたいことを適切な英語にする能力」は当然として、他に「言うべき内容を考え、決める能力」と「言うべき内容を頭の中に保持しながら(必要があれば修正などもしつつ)口に出していく能力」なども要求されるはずだ。ところが「視覚に頼りながら(たいていは時間をかけて)処理する」タイプの勉強ばかりをしていると、ワーキングメモリやリアルタイムでの反応力といったものが鍛えられないままになる。これでは英語で話すことがスムーズにいかないのも無理はない。
冒頭の問題に戻るなら、日本人が英語を話せるようにならない理由としては「英文和訳中心だから」以外に「普段の学習において視覚に頼りすぎるから」ということも含める必要がある、ということだ。そしてこれは、英語に限らず日本の学校教育全体に広く見られる問題だと私は考えている。
とは言うものの、学校に期待していても変革の実現はいつになるかわからない。幸いなことにこの「ソラで(視覚に頼らず)」は個人でも簡単に訓練できるので、各自でやってみるのが現実的だろう。以下のいくつかの例を挙げてみるので参考にされたい(英語でもトライできるはず)。
(1) 他人が作った文や文章を暗唱する
(内容中心にするか具体的表現法まで守るかは目的次第)
(2) あらかじめ(紙上も可)考えた内容について自己講義する
(物語的なものや論証などが使いやすく実用的)
(3) ソラで考える
(紙を使わない思索)
(4) ソラで考えながら話す
(即興スピーチ)
(5) ソラで聞き、ソラで考え、ソラで応じる
(ディスカッション、ディベート、ネゴシエーション)
いずれも昔から知られているありふれた作業ではあるが、こういったことを日常的に訓練するだけでも大きな違いを生むはずだ。
英語の基礎学習に絞るなら、例えば次のような課題はどうだろうか。
(1) 簡単な例文を聞いて理解する(視覚に頼らずに)
(2) 聞き取った例文をそのまま言ってみる(同上)
(同時リピート(シャドーイング)ではなく逐次リピート)
(3) 例文の一部を変えて言ってみる(同上)
(置換、転換、その他)
最近の私が考えているのは、以上に述べたようなことだ。理論的な学習を深めるのは当然だが、「理論との実践との統一」を標榜する私としては自ら実践してフィードバックを得ることが大切だと考えている。「基礎を侮らず、さりとて変化を恐れず」をモットーに取り組んでいきたい。
※タイトルが五・七・五になっているのはただの偶然である。
2014年09月24日
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