言わずと知れたことだが、‘sleeping cat’の‘sleeping’は現在分詞であり、‘sleeping bag’の‘sleeping’は動名詞である。そして、似たようなことが形容詞と名詞の間にも生じる。
たとえば、‘English teacher’がそうだ。
これを、「イギリス人の先生」という意味で使うときは、‘English teacher’のように2語とも強く発音する。一方、「英語の先生」という意味で使うときは、‘English teacher’のように前だけ強く発音する。
(しかし、このことを知らない日本人の英語教師が“I'm an English teacher.”と言っているのを聞いたことがある。)
そして、「イギリス人の」の意味の‘English’はもちろん形容詞なのだが、「英語(の)」の‘English’はどうやら名詞であるらしい。これは‘mathematics teacher’や‘chemistry teacher’と比較すると納得しやすい。先生自身が‘mathematical’だったり‘chemical’だったりするわけではない。
(しかし「国際数学オリンピック」は‘International Mathematical Olympiad’なので、私にも定かなことは分からない。)
蛇足だが、同じことが‘English study’についても言える。これを「英語の勉強」という意味で使いたいのであれば、上の「英語の先生」と同様に前だけを強く発音する。もし2語とも強く発音すると、「イギリス風の書斎」という意味になる(そんなものがあるのかは知らないが)。
思うのですが、これはストレスの問題ではなく、
「英語の先生」というときは、なんとなく、この表現を一つの塊と認識して発音している感じではないでしょうか。というのは、アメリカの大統領の住むホワイトハウスと同じなのですが、ホワイトハウスは一つの名称となっていて、「白いね〜家なんですよ〜」という描写的な意味がやや薄れています。
あるいは、相撲取りの名前で「安芸の島」が良い例です。これは「安芸の」+「島」という意味じゃなくて、ひとつの名称として「安芸の島」なので、一つの単語という感じの認識です。だから、ちょっと誤解を招いてしまうかもしれませんが、あたかも、一挙に読む感じで発音するわけです。
この要領で「英語の先生」というのは、学校のなかでは、ほとんど、名称です。一つの単語のようなものです。
ENGLISH TEACHER(2語)というより、ENGLISHTEACHER(1語)なのです。だから、一挙に読むかんじで発音するわけです。するとまるでストレスの位置が一箇所のように感じるわけです。
一方、イギリス人の先生、、、という場合は、いつも言う表現ではありませんから、イギリス人のね〜、先生ですよ〜〜という認識があり、両方が理解のうえで大切なわけです。だから、まるで2語とも強く発音しているように聞こえるわけです。
ま、この説明は、私の嫁でアメリカ人のジーナが言っていることで、実際、この感覚で読むと、暗記していなくても自然にネイティブと同じような読み方になるので、事実上正しいと思っています(というかやはり正しいですw)。
というのは、日本語でも英語でも同じことだからです。
安芸の島を、すもうとりの名前として読むとき、本当に描写したくて、「安芸という地方にある島なのよ〜」という思い出読むときの、認識のメカニズム、そして結果として出てくる音の抑揚、、、は、ENGLISH TEACHERの話と全く同一です。
したがって、ストレスの位置を暗記する必要がありません。
安芸の島 (安芸という地方にある島)
安芸の島 (相撲取りの名前)
言ってみると、抑揚が違います。
以前に、この件に関しては、詳しく書いたことがあります。こちらです。
http://www.nippondream.com/tips.htm#whitehouse
長文失礼しました。
で、なぜ上のようなアクセントになるのかという「理由」に関しては、上川さんが指摘しているとおりだろうと私も思います。ブログに書かれていることにも異論はありません。
ただ、やはり外国語というのは厄介なもので、こういうことは一度意識にのぼらせておかないと、知らず知らずのうちに慣用とは違うクセを身に付けてしまう可能性があります。
実際、私がこの記事を書いたのも、そういう例をつい数日前に目にする機会があったからなんですね。
武道でもそうなんですが、「自然に」というのは実は曲者です。
というわけですので、ご理解のほど。