「あなたがなすことの全ては、あなた自身の選択にかかるものであって云々」といった内容の名言(?)をよく目にする。今日も、そんな内容が英語で書かれた画像を見かけた。
たしかに選択をするのはその人自身であり、そこで人間としての主体性が問われるのは事実だ。そのこと自体を否定しようとは思わない。
しかし、それでも上のような「名言」には何か違和感が残る。なぜだろう? ちょっと考えてみた。
それは、選択という精神的行動以前に、「どのような選択肢があるか」という重大な問題があるからだ。つまり、選択肢の設定という問題だ。
設定しうる選択肢の幅はさまざまな要因によって規定(制約)される。まず第一に、自分自身の過去の選択・実践によって。これは自己責任である。それから第二に、第三者の意志(法規範も含む)によって。そして第三に、誰の意志にも無関係な要因(自然現象や事故など)によって。第二と第三はどちらも、それ自体としては本人の意志によらない要因であり、結果が発生してしまったら、後から変更はできない。
さて、希望にかなった選択ができるには、それなりの選択肢が設定できていることが前提になる。それには事前の(往々にして長期にわたる目的的な)準備が必要なのであって、選択を迫られた時点で慌てても手遅れである場合が多い。
準備が大事なのは上の「第一」の類型に限らない。例えば、折りたたみ傘をバッグに忍ばせておけば、突然の雨といった自然現象(第三類型の一部)にもある程度までは対応できる。もちろん同様のことが他の類型についても言える。
つまり、ものごとは過程として見るべきであり、それを無視した「名言」は、見た目のかっこよさとは裏腹に、実際の問題解決にはほとんど役に立たない。それどころか、背後に隠れているヨリ重要な問題から目をそらさせてしまうという意味では、かえって有害でさえある。
もっとも、上のような駄文を書いていくうちに「ヨリ重要な問題」を意識できたりするのも事実であるから、私のような捻くれた人間にとっては有益なのかも知れない。その点、素直で信じやすい人は要注意だろう。
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