とは言うものの、私が英文法についてそのような学習をしたのは随分昔のことで、「そんな過去があった」という認識はあっても、具体的な感覚のようなものは忘れていた。ところが、最近ドイツ語の学習を再スタートして、「これがそうかな」という経験をした。
ドイツ語学習にあたっては、英語との比較をしながら学ぶのが効果的だろうと考えて、そのような趣旨の入門書を購入した。それで翌日から数日間、毎日1課ずつ進めていったのだが、予想に反して、次第にストレスがたまってきた。
各課のテーマは順に「名詞の性と冠詞」「sein の現在人称変化」「haben と werden の人称変化」「動詞の現在人称変化(1)」…のようになっている。教材によって項目の順序はさまざまだが、いきなり具体的な品詞の具体的な活用・変化の問題に取り組まされるという点については、だいたいどの教材も同じである。
ストレスがたまってきた原因はというと、まさに「それぞれの部分が全体の中のどこに位置づけられるか」が分からないことであった。文法とは本来体系的なものであり、各課の学習はジグソーパズルのピースを埋めていく作業に該当すると私は考えている。しかし、互いの位置関係が分からないままの学習では、なかなか全体像が見えてこない。私のようなタイプの人間には、「全体像が見えない」とか「目前の課題と全体とのつながりが見えない」というのは大きなストレスになるのである(逆に全然気にならない人もいるであろう)。
私に言わせれば、言語の最小単位は「文」である。だから、どんな知識でも「文を構成する」(あるいは逆に「文を解釈する」)という観点で位置づけられない限り、あまり意味がない。では、上に掲げた各課のテーマはどうか? どのテーマも必要不可欠ではあるらしい。しかしその位置づけは??? どこでどんなふうに役立つの??? …というわけで、それが分かれば問題は解消するはずだ、と考えてみた。
そこで大書店に行って文法書をあたった。ドイツ語の文法書はいきなり「名詞」「動詞」から始まるものが大半であるが、最近書かれたものの中に1冊、第1章として「文」に50ページを割いて解説しているものを発見した。(ドイツ語ではしばらく前に正書法の改訂があったので、古い教材は初心者には勧められない。)
帰宅してからその「第1章」を中心にざっと見てみた。結局のところ私に不足していたのは、知識量としては微々たるものであった。しかし、理解という面ではかなり大きな意味を持っていたようで、各課の位置づけができるようになったことで、先のストレスはすっかり解消し、さらに各課の具体的なテーマと向き合えるようになったのである。
冒頭に書いた「自力で(英)文法書が読めない人」の中にも、ドイツ語における私と同様の問題を抱えている人が多いはずである。そういった人たちに対する私からの処方箋は、昨年夏に書いた 「文法書は最初の部分が命」 ということに尽きる。今回の私の試みも、これを踏まえてのことであった。この種の学習はなかなか愉快であり、かつ効果は絶大なものなので、心当たりのある方は(ない方も!)是非チャレンジしていただきたい。