ある程度の数の例文を記憶したら、今度はそれらを具体的な場面において正しく活用できるようになりたいであろう。それも、読み書きだけではなく、話したり聞いたりするときにもスムーズに使えるのがよい。これは単に記憶しただけでは身に付かないものであり、それ相応の工夫と努力が必要とされる。
さて、最終的にはありとあらゆる文において<活用能力>を発揮できるようになりたいわけであるが、実際には、非常にたくさんの語句や例文を知っているにもかかわらずそれを使いこなすことができない、という人は決して少なくない。多くの知識を得たいのは当然としても、同時に能力という面にも注意する必要があるのである。ではどうするかであるが、次のように考えてみてはどうであろうか。
例えば、ある特定のパラグラフを正確にスラスラと読む訓練を徹底的に行ったうえでその能力を測ったところ、ネイティブを100として「90」と評価されたとする。さて、別の新たな素材について同じ観点から計測したらどうなるか? おそらく90には届かないであろうし、たいていの場合は大きく離されるはずである。つまり、
集中的に学んだ素材でのレベル > 新たに学んだ素材でのレベル
である。新たな素材として選んだものがよほど易しいものでないかぎり、左辺の値が右辺の値の上限となるであろう。言い換えると、右辺の値を高めるためには左辺の値を高めることが必要だ、ということである。
この簡単な思考実験からも分かるように、最初に学ぶ少量の素材に関しては、十分かつ多角的な訓練をした方がよい。それがある程度できるようになってから、その正確さや自在さを他のさまざまな素材に波及させていくわけである。もちろん、能力を波及させられるようになるにはそれなりの<慣れ>が必要ではあるが、一旦慣れてしまいさえすれば、ほとんどありとあらゆる素材で同じことができるようになる。この点をよく認識することが大切である。
なお、最初に学ぶ少量の素材は、学習領域の全般をバランスよくカバーするように選択するのがよい。これが全ての基礎となるからである。他方、後から追加する素材については、その順序とタイミングが大事である。目安としては、追加時の負担ができるだけ少なくなるように工夫するのがよい。
およそこのような戦略で学習していけば、短期間で大きな成果に結びつけることができるであろう。
でもこと語学に関しては宇宙や粒子を捕まえよう理解しようとするぐらい難しく感じるときありませんか。
そこに魅せられると同時にネイティブにかなわないんですよね、、
まるで大人になってから新体操しているような辛さを味わうことも。
でも、がんばりますけど!