なかなか面白い記事ではある。中でも「ダイソンは、子どもたちを勉強好きにさせたいなら遊びの要素が不可欠と指摘する」という部分には大いに共感を覚える。(先日は私も30年ぶりに有機化学の大学入試予想問題に挑戦してみたが、知識は少ないながらもパズルのように楽しむことができた。)
しかし、素直に受け取れない部分もある。それは、冒頭にある「学力世界トップのフィンランド人学生が、九九を覚えない理由」という部分。実に興味深いし、記事のライターもそれを意識してタイトルに含めたのだと想像できる部分ではあるのだが…。
Wikipedia の「九九」によると、「英語圏では成年者も掛け算九九を完全に言えないことが多く、アメリカの大学生・大学院生の実に38%が九九を完全には覚えていないという調査もある」のだそうだ。日本とはかなり違うように思われるのだが、何が違うのか?
すぐに思い付くのは教育の内容・水準だろうが、実は九九そのものの覚えやすさの違いに原因がある可能性が大きいのではないかというのが私の考えだ(cf. 等時的拍音形式などの影響)。九九の有用性はたいていの日本人が同意すると思うが、そうであるならば、覚えやすさとのトレードオフは考慮される必要があるはずだ。
そこで Wikipedia の英語版やフィンランド語版をはじめさまざまなサイト(とりあえず日本語のもの)を見てみたのだが、日本語以外では覚え方らしき項目を見つけることはできなかった。この「覚えやすさの違い」という点について記事内で配慮していないのは、私としては大いに不満だ。
つまるところ、フィンランドについては九九の暗記をやめて正解だったのだとしても、それゆえにも日本も、とはいかないのだ。もしかすると、「日本の場合は九九を覚えるのをやめさせても学力向上にはつながらない」、あるいはさらに「やめさせない方がよい」という可能性すらあるのだ。これでは、せっかくの(煽るような?)記事タイトルも説得力を持たないものになってしまう。
蛇足ながら、この記事の中で私の興味を最も引いたのは「フィンランドでは、就学年齢が他国と比べて1年遅い」という部分だった。これは案外大きなポイントかもしれないと感じた。
(ただし、この点については、子供たちが社会性を身に付けるのも遅くなってしまうというデメリットがある。となると、就学年齢は現状のままとして、一部の教科について習熟度別の教育を導入するといった方法をとるのが現実的な線なのかもしれない。)