いつものことだが「学歴」という言葉の曖昧さが気にかかる。これが学校歴のことを意味するのであれば、親のそれが子供に影響するということはあるべきではないと私も思う。しかし、実際にはかなりの影響があるだろう。それはおそらく学校歴そのものよりも学習歴を介したものだと想像する。
よく言われることではあるが、子供に勉強してほしいなら「勉強しろ」はお勧めできない。それは泣いている幼児に向かって「泣くんじゃありませんっっ!」と叱りつけるのに似ている。容易に想像できるように、逆効果になりがちなのだ。
では、どうするか。何よりも大切なのは、親自身が勉強することだろう。願わくば、勉強を楽しんでいる姿と、それが役立っているという事実とを、自分の子供に対して具体的に示すようにしたいところ。つまり、背中で語るわけだ。
そして財政的に可能な範囲でよいから、役に立つライブラリを自宅内に構築しておくことが望ましい。そのライブラリは、子供たちのために構築するというより、親自身が活用するためのものであることが大事だろう。もちろん子供に利用可能なものも少なからず混ぜておく。そういった素材が身近にあればいつでも接することができるし、それらが実際に身近な人間によって使われていれば、子供はその事実を当然のこととしてとらえるようになる。
また、多種多様な分野の本に馴染んでもらうための一つの方法として、家族で書店や図書館に行くこともできる。これは貧弱な自宅内ライブラリを補うという面はもちろんあるが、「人間はこれほどまでにさまざまなテーマに取り組んでいるんだ」ということを(本という媒体を通してではあるが)実感してもらえることも大きいはずだ。
結局のところ、子供に勉強させたければ親による率先垂範が何よりもモノを言うのであり、その意味で親の学習歴が子供に影響するわけだ。もちろん「昔は勉強したが最近は…」よりも「現在勉強している」の方が大事だから、たとえ俄仕込みでも何もしないよりはよい。「子は親の言うとおりにはしないが、するとおりにはする」── かつて何かの本で見かけた金言を思い出す。