(1) 新刊 『英文構造図』(第3版) 大好評発売中!
  10265528_10152449507841816_3640753823111937564_o.jpg
(2) 英文構造図の詳細は 公式サイト をご覧ください。
(3) ブログ記事の体系的閲覧には 目次一覧 をご利用ください。

2015年10月31日

勉強机には会議テーブルがオススメ

浪人時代の私は自分の部屋に置かれた4人がけのダイニングテーブルを勉強机にしていた。それはちょうど図書館のテーブルみたいでなかなか使い心地もよかったし、私などが宅浪で東大合格できた理由の一つだったかも知れないとすら思っている。

しかし、大学在学中は学生寮で貧乏生活をしていたため、テーブルを置くスペースも予算もなかった(勉強もしなかったが)。卒業後には座卓やコタツを買ったものの、座椅子を使っても腰が痛くなりがちだった。母校の総合図書館は環境としては悪くないのだが、往復に時間がかかるし、開館日・開館時間にも限りがある。わがままな人間はいつも不満だらけなのだ(笑)。

さて、上京して30年目の今年、ようやくにしてダイニングテーブルの購入を再検討するようになった。ただし、デパートで売られているダイニングテーブルは私にはちょっと高価すぎたので、購入対象を会議テーブルまで広げてネットであれこれ検索してみた。結局、価格とサイズを基準にして数日がかりで絞り込み、最終的にコタツ板2枚分の大きさの4人用会議テーブル(↓)を選択した。

ミーティングテーブル TKシャープタイプ(W1500×D750×H700)

幸い注文品の到着まで何日かあったので、部屋に並べてあるスチール本棚のうちの1つとカラーボックス3つの位置を交換してみた。その結果、スチール本棚は3つ全部が横並びになると同時に、カラーボックスは計4つ(10段分)が寝床の枕元に集約されることとなった。

そして今朝、待ちに待ったテーブルが届いた。組み立て作業には30分近くかかっただろうか。せっかくなので、設置完了直後に正面から撮ってみたのが下の写真だ(テーブルの向こうに椅子があるのだがノートパソコンの陰になっていて見えない)。

実際に座ってみた感じでは、天板サイズの選択も今回のものでベストだったようだ。端まで手が届かないほど大きくてもしかたがないし、何よりも部屋の残りスペースが狭くなりすぎるからだ。

テーブル.jpg

写真に戻ると、テーブルの左端(この写真では右側)には小さな本立てが置いてあって、ここには最も頻繁に使用する本を並べておくことにした。一方、右側(写真では左側です、はい)の4割くらいはフリースペースにしてあり、使用途中の本(広げたままでも)やバインダーなどを無造作に置いたりするのに使う。

ノートパソコンの両側にある黒い物体はもちろんスピーカーで、パソコンに入れてあるアニソン……じゃなくて英語のリスニング素材などをマメに聴くつもりだ。しばらく前に購入したラジカセも近くにあるから、ラジオとカセットテープについてはそちらを使う。

見てのとおり私の背中側には3つのスチール本棚があって、そこに並んでいる本の半分以上は座ったままでも手が届く。今後は参照頻度を考慮しながら本の配置を徐々に変更していこうと思っている。

ここまできて痛感したのは、「こういう買い物はもっと早くしておけばよかった」ということだ。テーブルを導入したおかげで浪人時代の恵まれた環境が戻ってきたし、むしろ蔵書が増えた分だけパワーアップしたとも考えられる。今後はわざわざ母校の図書館まで足を運ぶ必要はないのだ。今回の出費はたかだか15000円程度だから、見込まれる効果の大きさを考えれば非常に安い買い物だったと言えそうだ。

本の配置などはまだまだ変更する可能性があるものの、これをもってとりあえずの報告としたい。室内に多少のスペースがある人には、いわゆる勉強机や座卓の類より会議テーブルを強くオススメしたいと思う。これで環境は万全、あとは本人が勉強するだけだ(汗)。

posted by 物好鬼 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習記録、日記、雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月07日

英語の偏り?

※昨日、連続でツイートしたもの。

「大学入試の英語は偏っている」「TOEIC の英語は偏っている」と言う人がいたら、「それはタイム誌の英語でも医療英語でも観光英語でも同じでしょ?」と言い返せば足りる。どうせ全部をやっている人などいない。試験対策の是非は自身が掲げる目的との関係次第であり、方法単独での批判は難しい。

というわけで、偏りは本質的に不可避だ。とはいえ、基礎的な部分(だいたい高校レベルまでの範囲)については万遍なく学んでおいた方がよいと思う。もちろんこれも各自の目的次第ではあるのだが、基礎的な部分に穴があると持ちうる目的も自ずと狭まってしまう。それが基礎の基礎たる所以というものだ。

蛇足ながら、「偏り」も多義的である点には注意が必要だろう。私がここで書いているのは「全面的ではない」ということであり、英語のように巨大な対象を扱うときには不可避なものだ。しかし、このことと「英検を受けるのに難単語の勉強ばかりしている」といった種類の「偏り」とは区別する必要がある。

これらはどちらも「基準に対するズレ」として理解可能ではある。しかし、英語全体に対するズレは不可避であっても、限定された目的に対するズレは比較的避けやすい、という大きな違いがある。そしてこの「限定された目的」には、特定の試験に合格することや特定分野の素材に習熟することも含まれうる。

(いずれも140字)

posted by 物好鬼 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学の本質 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする