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2015年01月20日

5文型についての私の考え

※先ほど連続でツイートしたもの。

日向『即戦力がつく英文法』購入。読むのはおそらく週明けからだが、ネイティブ感覚を持った著者による非常に有益な労作だろうと予感している。ただ、私は拙著において5文型を援用しているという事実があるので、著者の「5文型の問題点」(p.24)に対しては私なりの考えを記しておくべきだろう。

@必須の副詞句については、各文型の「亜型」として挙げれば足りると思われる。
A疑問文や命令文などは、対応する平叙文と同じに考えればよい。SVOOやSVOCをSVCやSVOと同列に扱うべきでないという考えは首肯しうるが、それは使い方の問題であり、5文型そのものの否定には直結しない。

※ついでに、出現頻度の大小は学習に要する時間の長短とは必ずしも比例しないということを指摘しておきたい。というのは、SV/SVC/SVOのようにわかりやすいものは比較的短時間の学習で足りるが、SVOO/SVOC(特に後者)のように理解しにくいものは、より長時間の学習が必要だからだ。

B実証研究については私はよく知らない。ただ、初心者が書いた英文をネットで見ると基本的な文構造を理解していないと思われるものが多く見つかるが、私の見る限りでは、それらのほぼ全部が5文型で説明できる。洋書や洋雑誌に出てくる英文も同様で、私自身には5文型が役立っているという実感がある。

C5文型を活用することは「5文型中心の勉強法」を必ずしも意味しない。拙著のようなもので基本構造を押さえたら、日向本などでナマに近い英文に接することにより感覚を養うべきだろう。
→結論としては、「5文型は不完全だが有用でもあるから、産湯と一緒に赤子を流すべきではない」と私は考える。

基本文型を学ぶときに注意すべき点は、be 動詞と一般動詞の違いだ。疑問文を作るとき、古くは動詞を主語の前に出していた。助動詞発生後は助動詞を前に出すことになったが、ここまではドイツ語も同じ。しかし、一般動詞に do を使うようになって全3系列になった。5文型ではこれが見えにくい。

(以上、すべて140字ずつになっている。)



posted by 物好鬼 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

わが卒論より「言語と〈言語規範〉」

これは24年前に提出した卒論の一部。当時の私は(現在も大差ないが)三浦つとむ・南郷継正らの認識論に全面的に依拠していたため心理学はほとんど知らなかったが、この程度の考えには到達していた。今こうやって読み直してみても、内容的には特に修正の必要性を感じない。なお、卒論では文献名は略記していたが、転載にあたって参照しやすいよう復元しておいた。それ以外は24年前のままである。

言語と〈言語規範〉

 言語とは表現の一種である。ここで表現とは、「精神のあり方を認識するための物質的な鏡」(三浦『認識と言語の理論 第一部』p.31)のことであるが、言語においてはその表現と鑑賞とは何かと言うと、それは一般的には社会的認識の一形態であり、その人の行動を規定するような、「観念的に対象化された意志」の一種である。そして、〈言語規範〉とは、言語活動(表現と鑑賞)を媒介するような規範のことである。
 さて、言語において〈単語〉と呼ばれているのは、表現者の1概念が表現されている部分=単位である。だから、いわゆる「単語を覚える」とは(これは外国語に限らず、学術用語などでもよい)、@何らかの情報を元にして概念構成をし、Aそれと語彙(単語の種類を把握した表象であって、これはこれで覚えなくてはならない)とを対応させて記憶し、更に、Bそれを元情報とは独立して使用できるようになる、という過程的構造を持った作業である。
 しかし、単語だけ覚えても不充分であることは言うまでもない。では、いわゆる「言語を習得する」とは何なのか、ということになるのであるが、これは上の議論を踏まえれば容易に予想できるように、〈言語規範の習得〉なのである。また同様に、その一部としての「単語を覚える」とは、「語彙を習得する」ということである。
 では、肝心の〈言語規範の習得〉とは何であろうか。問題は、その「習得」の意味である。
 普通、規範を「覚える」と言った場合、@法律の条文のように知識として覚える場合と、Aこういうときはこうしてしまう、というようにクセとして覚える場合との2形態があるであろう。そして、ここで問題にしている〈言語規範の習得〉とは、Aの方であり、@つまり〈文法の記憶〉は過程としてのみ認めるものである。しかし実情は……である。
 言うまでもなく、ここに誤解があるからこそ、子供だましでしかない「文法否定論」がまかり通るのである。別に文法が不要なわけでは決してなく、逆に、文法を意識しなくても文法にかなった言語活動ができるようになるまで自らを訓練する必要があるのである。そして、そのための最良の方法は、あくまでも意識的に訓練を行うことなのである。

オマケ:同じ論文の中で私は次のようも述べている。
 なおここで「外国語で考える」とは、外国語の単語の(音声)表象を原則的には文法に則った形で頭の中に並べることによって概念の運用をすること、である。

何らかの参考になれば…。

posted by 物好鬼 at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学の本質 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

暗記ツール「いったんもめん」 遂に見参

前回の記事では記憶することの重要性に触れた。もちろん、他者の思考を理解したり自分で思考したりすることの重要性を前提としたものだ。

さて、記憶を軽視することに問題があるという点については、私自身が大いに感じるところとなっている。そこで今回は、何よりも自分自身が活用するためのものとして、HTML5 でオリジナルの暗記ツールを書いてみた。(含まれるアイディアは古今東西?から拝借しているが、ツールそのものはすべて私の手になるものである。)

そのツールは こちら

主な特徴は以下のとおり。
 ・単語や短文などを覚えるための暗記ツール。
 ・スピード重視で徹底反復。
 ・自作データ使用可。
 ・表示時間等を変更可。
 ・パソコン用。
 ・忘却曲線は無視(進捗管理は各自で)。

基本的には単純な一問一答方式のツールである。こういう方式に対しては「単語は文中で覚えなくては役立たない」といった意見が出てくるのが常であるが、私のツールは文中で覚えることは一切否定していない。むしろ、データを自作する際に内容的なつながりを考えながら編集することができるため、併用することによる相乗効果にも期待している。

ぜひお試しいただきたい。
※ご意見・ご感想などはツール画面最下部から。

posted by 物好鬼 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習記録、日記、雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

学習のバランスを変えてみる

医学教育に関するブログ記事を読んでいたら、基礎医学で覚えさせられる量が膨大なんだという話が書かれていた。たしかにそういう話は以前にも聞いたことがある。

記事を読みながら、私は医学部に行かなくて正解だったと思う反面、ブログ主らが体験したような機会に無縁なままここまで来たことは大きな損失でもあったな、とも思う。

もっとも、30年前の私が医学部に入っていたらはたしてその「機会」から学べたかどうかとなると、それはかなりアヤシイ、というか、まず間違いなく無理だっただろう。その原因は、私の「頭の使い方」の傾向にある。

その傾向(偏り)は中学時代にはかなり明瞭になっていたもので、大学受験時代には「共通一次における全失点の7割が社会によるものだった」というかたちで表れていた。しかし、私がその「偏り」を非常に大きな問題点として明確に認識するようになったのは、実はごく最近になってからだ。

学校教育の範囲に限定しても頭の使い方は科目ごとに違っていて、それは中学〜高校〜大学と進むにつれて鮮明になってくる。複数の科目に同じ方法を適用することもある程度は可能だが、レベルが上がるにつれて徐々に歪みが大きくなってくる。それは英語についても同様で、英語学習法についてこの観点から見直してみると、いろいろ見えてくるものがあるはずだ。

学習者として大切なのは、遅すぎない段階でその違いを認識し、対処できるかどうか、だろう。もちろん、指導者にとっても同様だ。そして対処するのが遅れすぎると、その遅れを取り戻すのは困難になる。蛇足だが、いわゆる「十で神童…」もその一種なのではないだろうか(ただし、私の場合とは逆向きの偏りではある)。

勉強とは、ことほど左様にバランスが大切なものなのだ。そしてこれは私にとっては今年の最重要課題でもある。「五十の手習い」という言葉もあることであるし、あえて新しい挑戦をしてみたいと考えている。その詳細も含め、今年の抱負については近々このブログに書くつもりでいる。

posted by 物好鬼 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

酷使したい本のカバーは外す

(Tweet より)

私の場合、酷使したい本についてはカバーを外すことが多い。これは黒川康正氏が『資格三冠王』で勧めていたから。だが、カバーを付けたまま熟読した本も私の手元に何冊かあるので、カバーを外すことが必須とまでは言えない。それでも「この本の寿命は俺の手で全うさせるぞ!」という意思表示にはなる。

そういえば、カバーをとったときの表紙が水分に弱い作りになっていることが多い。『DUO 3.0』や『速読速聴・英単語』シリーズなどは数少ない例外だ。私の『英文構造図』第3版は最初からカバーがないが、そのかわり表紙はつや消しのコートを選んだ。酷使してもらうことを前提に作ってあるのだ。

では、水分に弱い表紙についてはどうするかというと、市販のフィルムを貼るとよい。私の場合、これも黒川氏の勧めで「フィルムルックス」という製品を浪人時代から使っているが、類似品でも大丈夫だと思う。大きめの本にうまく貼るには多少のテクが要るが、そういうことは失敗しながら覚えるのがよい。

posted by 物好鬼 at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習一般について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする